書評

2008.02.24

書評 『ジェネラル・ルージュの凱旋』 海堂尊

ジェネラル・ルージュの凱旋ジェネラル・ルージュの凱旋
海堂 尊

宝島社 2007-04-07
売り上げランキング : 1312

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 宝島社がミステリーを刊行するようになったのは、あの楡周平が最初ではなかったかと記憶している(違っていたら失礼)。当時から「このミス」の愛読者だったぼくは、鳴り物入りで登場した『Cの福音」』(宝島社文庫)を買い込んで、大きな期待を持って読み始めた。「このミス」でおもしろい本を世に問い続けていた宝島社が社運をかけて売り込んだように見えたのだから、それも仕方がないことでしょう。1996年だったと思う。

 しかし、期待は大きく裏切られた。あの作品は小説の体をなしていなかった。自己満足と過剰な自己陶酔がハードボイルドだと勘違いした作者の痛い小説というイメージしかない。その後、シリーズ化したようだが、ハラワタを抉るような小説を書いてくれるとは到底思えなかったので、手を出していない。

 同時に、宝島社にも大きく失望した。「このミス」は投票する人選が良かっただけで(当時からすればこれは実は大変なことなのだけれど)、宝島社にあの空気を再現してくれる編集者はいないのだなと本当に失望した。申し訳ないが、その後は単なるムックとか雑誌の出版社のイメージのみ。だから、「このミス大賞」も、ぼくの中では限りなく評価の低い文学賞だった。

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2007.10.18

書評 『制服捜査』 佐々木譲

制服捜査制服捜査
佐々木 譲

新潮社 2006-03-23
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 佐々木譲といえば、冒険小説の傑作である『ベルリン飛行指令』(新潮文庫)『エトロフ発緊急電』(新潮文庫)『ストックホルムの密使』(新潮文庫)の三部作を真っ先に思い出す方が多いだろう。第二次大戦を題材にした冒険小説で、『ベルリン飛行指令』と『エトロフ発緊急電』はNHKでドラマ化もされたので、ご記憶の方もあるかも知れない。『エトロフ発緊急電』は沢口靖子主演だった。

 しかし、ぼくにとって佐々木譲といえば、大学時代に見た思い出深い映画『鉄騎兵、跳んだ』の原作者として登場したのが、最初の出会いだった。映画を観たのは1980年、池袋の文芸地下だったと思う。熊谷美由紀と石田純一が初々しい青春映画(石田純一はこれでデビュー)で、原作はオール読物の新人賞受賞作品だった。

 これを書きながら、『エトロフ発緊急電』と『鉄騎兵、跳んだ』をAmazonで探したが、双方ともビデオのままでDVD化はされていない。日活は仕方ないとしても、怠慢だな、NHKは。是非DVD化して欲しい。もちろん、日活も。

 前述の三部作でブレイクしたあと、骨太の歴史小説などをお書きになっていたようだが、ちょっとばかり縁遠くなってしまった。失礼ながら、自分的には「過去の人」に分類してしまっていた。本当に申し訳ありません。しかも、「このミス」で平山さんの『独白するユニバーサル横メルカトル』に次いで2位を獲得した作品を今ごろ読んでおいての言い草で、本当に申し訳ないと思っています。

 前置きが長いが、ともかく、すばらしい警察小説だった。なんといっても、着眼点がすばらしい。手アカのついた題材と思われる警察小説をこんなにも新鮮に読ませてしまう作者の手腕は、見事というほかない。極めて日本的な警察小説として、日本の警察小説史に残るほどの作品ではないかと思うのだ。

 主人公は、殺人犯や窃盗犯を手がけたベテランの刑事(川久保巡査部長)だが、北海道警の不祥事の尻拭い人事で、なんと駐在所勤務に飛ばされてしまう。赴任した田舎町が、実に日本的なムラ社会を形成していて、駐在ですらなかなかコミュニティに入り込めない。

 その駐在警官・川久保が、極めて日本的な北海道の小さな田舎町で孤軍奮闘する姿を描いた。肩肘を張らず、自然体で事実に対峙する川久保の姿は実に感動的だ。日本の縮図であるムラ社会に風穴を空ける川久保は決してドン・キホーテではない。正義と信念に裏打ちされた行動は、読むものを清々しくさせてくれる。

 本書は、連作短編集だが、川久保を主人公にした長編が是非読みたい。ぼくが知らないだけで、もうあるのかな? ともかく、ミステリ好きには絶対のオススメ小説と言える。

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2007.10.13

書評 『リオ』 今野敏

Rioリオ (新潮文庫 こ 42-1 警視庁強行犯係・樋口顕)
今野 敏

新潮社 2007-06
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 白状すると、作者の作品は傑作との誉れ高い『蓬莱』 (講談社文庫)しか読んだことがなかった。作者の主戦場であるノヴェルスをあまり読まないというだけでなく、どこか固定された否定的な観念があったのかもしれない。2時間ドラマ的であろうとか、安易でありがちであろうとか、過剰にエンターテイメントであろうとか。

 読後の感想も予断からさほど遠いものではなかった。言葉は悪いが、2時間ドラマ的な警察小説だった。殺人事件現場から立ち去る絶世の美少女。その後に発生する2度の殺人事件でも同じ美少女が目撃される。しかも、3件の事件はすべて火曜日行われている。つかみは完璧。視聴率はわからないが。

 犯人も途中でほぼ特定できてしまう。コナリー的大逆転を期待したが、もちろんそんなものはなかった。ヒロイン・リオの環境と心情や、犯人の動機に執筆時の1997年当時も今も変わらない現代的病巣をもってきたかったのだろうが、どうも薄っぺらに見えてしまう。登場人物たちの痛みも伝わってこない。

 主人公の樋口警部補がしきりに語る世代論も非常にウザったく感じられてしまう。これが全体を薄っぺらく見せてしまう最大の原因かもしれない。作者の今野敏は、昭和30年生まれだ。同じく昭和30年生まれである樋口が語る言葉は、そっくり作者の言葉ととって構わないだろう。「団塊の世代」の後始末を強いられた世代。それはよくわかる。

 しかし、個人的には安易に世代論を振りかざす人々は、作者が忌み嫌う「団塊の世代」以上にたちの悪い思考停止状態に陥っていると思うので、容易に受け入れることはできない。主人公樋口の保守的で観念的な被害妄想は、読んでいて非常に疲れた。これを別の要素で料理しておけば、もっと良い小説に見えたかもしれない。

 この物語最大の魅力は、他の警察小説では見られない主人公樋口警部補の人物造型だ。その最大の魅力を「世代論」であぶり出そうとしているからもったいない。社会の「悪」と呼ばれるすべてを「団塊の世代」に押し付けるような態度に至っては、嫌悪感しか覚えない。社会はそんなに簡単ではないのだ。人物にはもっと背景があるのだ。

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2007.09.19

書評 『犯人に告ぐ』 雫井脩介

犯人に告ぐ〈上〉 (双葉文庫)犯人に告ぐ〈上〉 (双葉文庫)

双葉社 2007-09-13
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 2004年に刊行され、ミステリ好きの間で話題になった作品。その年の「このミス」で8位にランクインした。2007年には豊川悦司主演で映画化され、10月に公開される。気にはなっていたが未読だった。映画化に合わせて文庫化されたので、読むことができた初めての雫井脩介作品。

 初めて読んだ雫井作品は、横浜を舞台にした警察小説だった。主人公は警視の巻島史彦。6年前に起こった幼児誘拐殺人事件で大失態を演じ、神奈川県西部に左遷されている。巻島の大失態を境に、神奈川県警は不祥事が噴出し権威は地に堕ちていた。そんなとき、川崎で男児連続殺人事件が起こる。しかし、事件は解決の糸口さえ見つからない。

 川崎の事件発生から1年が過ぎたあと、着任した県警本部長がテレビで公開捜査を行うという突飛なアイディアを出す。これに抜擢されたのが、飛ばされていた巻島史彦だった。ダンディな巻島は、テレビで犯人に呼びかけ、一大センセーションを巻き起こす。果たして、犯人は炙り出されるのか……。

 一読して、作者のファンになった。ともかく、ストーリィ作りが抜群にうまい。現在と過去に起こった二つの凶悪事件を絡ませて、重厚な物語を描き出している。ひとつの事件でテレビを使った公開捜査を行うのだが、これだけでなく、事件の扱い方が過去に読んだことのないような描き方と構成で描かれ、何度も虚を衝かれた。

 ミステリ好きな方なら、主人公の巻島史彦警視の孫に目がいくはずだ。年格好からして、この孫が後半大きな展開をもたらすだろうことは容易に予測がつく。ぼくも、ある予断を持って読んだ。しかし、これが見事に裏切られる。しかし、作者が選んだ展開がまた良かった。若干盛り上がりには欠けるが、ほろ苦くて胸の痛むラストにつながる。

 ラストまで読んで、ちょっと大げさだがローレンス・ブロックの名作『八百万の死にざま (ハヤカワ・ミステリ文庫)』を思い出していた。なかなか言えなかった一言。過去の間違った自分を認める作業は難しい。涙と共に吐かれたマット・スカダーの言葉が巻島史彦の言葉と重なった。そういう意味から言えば、本書は警察を舞台にした人間の成長ドラマでもある。

 人物造型はどうだろう。食えない県警本部長やキャリアの上司、巻島を支える老刑事が印象に残った。しかし、この3人もどこかステレオタイプで、強烈な印象はない。最も残念なのは、巻島本人がどうもしっくりとこないことだ。工夫を凝らしているのだが、どうしても朧な像しか結ばない。今後の課題だろうか。

 それと犯人だ。これだけの大事件を起こした犯人なのに、あまりにあっけなくはないか。動機は何なのか。もし、本当に快楽殺人なら、毎月のように犯行に及んでいた犯人が、1年も我慢できるはずがない。このあたりの犯人像にもっと力を入れるべきだった。対極を描けば、正義はもっと重厚になるのだ。伏線は張っている。しかし、納得できない。全体が劇画チックに過ぎるのも不満だろうか。

 読了後、こうして考えれば不満は多々ある。物語全体を見れば中だるみもあるし、現実では起こりえない展開も多く、また小説的妙味を盛り込み過ぎて焦点がぼやけてしまった感は否めない。しかし、それを補って余りあるおもしろさなのは間違いない。好きなタイプの作家なので、追いかけてみたくなった。著作もまだ少ないみたいだしね。

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2007.09.12

書評 『フラット革命』 佐々木俊尚

フラット革命フラット革命

講談社 2007-08-07
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 インターネットの未来を語ると、社会学のような様相を呈してくるからおもしろい。それは、インターネットというメディアが、過去のメディアにない特性があるからで、なおかつその特性が社会構造を変革してしまうほどの力を持っているからだ。本書は、インターネットが社会にどういう影響を与えているか、その行く手には何が待ち構えているかを探っている。

 作者はインターネットに造詣が深く、過去にネット関連の書籍を何冊も著している気鋭のジャーナリストであり、つい最近まで毎日新聞に席を置く新聞記者でもあった。インターネットの影響を真っ先に被っているのはマスコミであるから、未来を語るのにこれほどふさわしい人材もいないのではないかと思わせる。

 CNET Japanの「佐々木俊尚 ジャーナリストの視点」というブログにたまに記事を書いていらっしゃるのだが、2007年春にいわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」について、毎日新聞が掲載した記事とその取材方法全般について、非常に興味深い記事を書かれた。これがものすごくおもしろく、興味深かった。

 この一連のやりとりをふくらませて第一章にもってきている。マスコミがネットに対して持っている偏見が、これを読むと非常によくわかる。しかし、これを社会は許容しない。ネット隆盛を尻目に見ながら、大新聞は没落していくしかないのか。マスコミは大衆の信頼を失い、失墜していくしかないのか。元新聞社の記者だけに、非常に興味深い論考となっている。

 つまり、ネットが日常的な情報インフラとなったことで、大新聞などが持っていた権威が揺らいでいるということなのだ。誰もが情報を発信でき、誰もが大新聞などの権威に対して異を唱えることができ、更にそのプロセスを掲示板やブログなどで誰でも見られるようになった時代。これを作者は「フラット革命」と呼んでいる。

 第二章第三章では、個人と社会とのつながりを思考しながら、日本人の属人的意識を分析する。自己は確立されているか、ということを繰り返し述べる。更に、ネット時代の人間関係のあり方に踏み込み、多くの人々が参加するネット上の言論が、一見勝手気ままに見えるようで、実は正しい方向に向かっているのではないか、という「集合知」的なアプローチがなされる。

 そして、本書の主眼である第四章「公共性を誰が保証するのか」に進む。いままで、大新聞大マスコミが担保していた「公共性」を、フラットになった社会では誰が担保するのか、何を信用して何を無視すれば良いのかを検証してゆく。これが最も難しい部分で、未来予測の部分である。

 しかしながら、作者が導き出したネット上の「公共性の担保」はとても脆弱に見える。ぼく自身は「集合知」についても俄かには承服できない部分があるので、更にネット上での可視性のコミュニケーションそのものが「公共性の担保」といわれてもピンとこない。もっと何かあるのはないか、もっと別の方法があるのではないかと思ってしまう。

 過去にから現在にかけてのネット界の動きについての分析は鮮やかで、とてもおもしろかった。ただ、第二章第三章が弱い。特に第三章は恣意的で、登場する人物たちがとてもイヤらしい人間のように見えてしまう。彼らは自分のマイミクたちをコントロールしているつもりなのか? マイミクは彼らのおもちゃか? ぼくが彼らのマイミクなら、すぐに縁切りをしたくなるような記述だった。不快感しか残らない。

 作者の本は新書で何冊か読んだことがある。正直、いきなりのハードカバーでびっくりした。多少の不満はあるが、それだけの価値はあるのではないかと思う。こういった書籍の役割は、過去から現在の事象を系統立てて整理整頓し俯瞰し、普遍化することだと思うので、最低限その役割は果たしているのではないかと思う。

 インターネットが社会に及ぼす影響と、今後社会がどう変質していくのかについてはすぐには答えは出ないし、正直言って誰にもわからないだろう。動物でも何でも、突然変異が進化に大きな役割を果たすのは知られている。ぼくは、何か突然変異が現れるのではないかと思っている。そんなことを考えさせるだけでも、本書を読む価値はあると思う。

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2007.09.06

書評 『「世界征服」は可能か?』 岡田斗司夫

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

筑摩書房 2007-06
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 例の『いつまでもデブと思うなよ』と抱き合わせて買った本。表題の通り、「世界征服」を考えながら、最終的には善と悪の本質に迫る怪作だった。

 まず、なぜ「世界征服」をしたいのか? という命題を、古今東西のアニメや映画の「世界征服を目論む悪の結社」を題材に探る。これがもう、すごいのです。ともかく詳しい。そして笑える。オタキングのアニメや映画などの広範で深い知識に驚くばかり。そして、類稀な視点に驚くばかりだった。

 まず、支配者の4つをタイプに分類する。そして、支配者のタイプごとに検証する。その4タイプとは

A 魔王タイプ (ex.『レインボーマン』の「死ね死ね団」)
B 独裁者タイプ (ex.『DEATH NOTE』の「夜神月」)
C 王様タイプ (ex.『ドラゴンボール』の「レッドリボン軍総帥」)
D 黒幕タイプ (ex.『007シリーズ』の「スペクター」)

 このあたりはオタキングの洞察の深さに爆笑の連続。すばらしい。

 こうして支配者のタイプをおさらいした後、具体的な「世界征服」の手順を探る。これがまた秀逸。前章から、どこまで本気かわからない雰囲気を引きずったまま、大真面目に「世界征服」のための「人材確保」や「資金の調達と設備投資」「作戦と武装」などについて語る。ともかく、電車の中で読んではいけない。

 こうして最終章「世界征服は可能か?」になだれ込む。岡田が思索の末に導き出した最終的な支配者像は、それほど目新しいものではないと思う。たとえば、「ゴッドファーザー partII」で描かれた、マイケル・コルレオーネの孤独に通じるような。

 しかし、本題はそこにはない。本題は最終章で語られる「悪」の本質である。見事だった。ここまで見事に「悪」の本質を看破した本は読んだことがない。あまりに斬新で、デフォルメが過ぎて、俄かには納得できな部分もあるが、貧弱な頭を巡らせて見れば度合いは別にしても納得せざるを得ない。

 これはまったく新しい社会学の登場かもしれない。ぼくは岡田斗司夫の旧作を読んだことがないが、本書をあとがきまで読んで猛烈に読みたくなった。

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2007.09.05

書評 『消えるサイト、生き残るサイト』 宇都雅史

消えるサイト、生き残るサイト 「SEO11の戦術」で、絶対に生き残れ!消えるサイト、生き残るサイト 「SEO11の戦術」で、絶対に生き残れ!

PHP研究所 2007-08-02
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 本書は、ネット上に跋扈している安易な「SEO対策」に一石を投じ、正しい「SEO対策」についてサイト運営者を啓蒙しようという意図で書かれたとのこと。企業経営者にありがちな単なる集客本かと思ったら、なかなか読ませる内容だった。グレー部分が多い「SEO対策」について、常々疑問に思っていたことに見事な答えをいただくことができた。

 ブログやサイトなどをやっている方ならば、検索エンジンの威力は充分にわかっていると思う。日々多種多様な「キーワード」で検索され、その検索結果からたくさんの方々が訪問してくれる。ぼくらが貧弱な脳みそで推測したキーワードなど、遥か置き去りにする多彩さだ。

 ちょっと前までは、ネット上で情報を探すときはYahoo!のディレクトリから辿ることが普通だった。しかし、Googleなどの文書検索技術が進歩したことによって、図書館の蔵書目録のようなYahoo!から、検索エンジンはその中身の文章まで正確に検索できる、ハイパーな全能神のような存在になった。

 通常、検索した方が見るのは結果の3ページ目までと言われている。上位30位。しかし、これではネットを使って商売している方にとっては不足だ。自分の商売にとって有益な「キーワード」の検索結果でベスト10、あるいはベスト5くらいに入ると、集客力は一気にアップする。

 そこで、登場したのが「検索エンジン最適化(Search Engine Optimization)」だ。検索結果ページの上位に表示させる技術で、それぞれの頭文字から「SEO対策」などと呼ばれている。どうやったら検索結果の上位に表示されるかなんて、GoogleもYahoo!も公開していない。だから、本当に確実なことなど何もない。

 しかし、ネット上では「SEO対策」専門の業者がひしめいている。風評と経験によって、検索結果上位表示を可能にした会社がほとんどなのだが、正直言って、怪しそうなところがとても多い。ちょっと目端が利いて、ネットの経験がある人ならばわかりそうなものだが、世の中そんな人ばかりではない。

 このあたりを、実際に「SEO対策」の会社を経営して、多くの優良サイト作りに尽力した作者が説いている。ボッたくられるな、騙されるな、と。つまり、本書が薦める「SEO対策」の基本は、安易な小手先の技術に走るなということ。このあたりが、とても買える本だと思う。『「王道サイト」のつくり方』とあるが、まさにそれを実践していらっしゃる。

 ところが、これを読んでも、明日から即実行可能で具体的な「SEO対策」については明快な答えをもらえない。「SEO対策」の基礎の基礎なのだから当然なのだが、淡い期待を持つとがっかりしてしまう。それに、文章が自己陶酔型でヘタクソで、その上スカスカ。論理の展開も、自分の顧客の例を引いているせいもあって、抽象的な記述が多くて、俄かには信用できない部分もある。しかし、検索エンジン対策を通して、正しい商売をしようという熱意は特筆に値する。

 本書を支えているのは、この熱意である。ヘタな文章から熱意だけは痛いほどに伝わってきた。誰でも、熱意さえ持ってサイト作りを行えば、自ずとお客様を騙すようなことに手を突っ込まないし、熱意を持って商売をすれば、無垢なサイト運営者を騙すような悪質なSEO対策屋に引っかかることもない。自分の商売を固めろ、お客さまを第一に考えろということなのだ。

 ネットで商売をされている方ばかりでなく、自分のサイトに検索エンジンからたくさんの客を呼びたい方など、いまいちど初心に帰って、本書を読んでみるのも良いと思う。ぼく自身、「SEO対策」をかなり学習したつもりになっていたが、目からウロコの事実がいくつかあって、とても勉強になった。作者の会社では、日々600にも上るキーワードをウォッチしているそうで、これもまた信頼を補強してくれる。

 ただし、先にも書いたように、どうやって上位表示を決定しているかについて、検索エンジン側は公開していない。だから、あくまでも著者が感じた「正しいSEO対策」であることを理解しなくてはならない。ここに怪しい業者や、怪しい手法が入り込む余地があるわけだ。

 重要なのは、検索順位を決定するアルゴリズムが、日々進化していることだ。一般的なSEO対策業者が行っている「SEO対策」も、いつかはアウトになる可能性がある。過去にOKだった方法が認められなくなった例もある。こうなったときに怖いのは、容赦なくその関係サイト、たとえばそういった「SEO対策」を利用しているサイトまで、まとめて検索結果から消されてしまう可能性があることだ。

 そんな不確かで危険を孕む業界において、なぜ本書が信用できそうなのか、いったいどんなことが書いてあるのか。気になる方は、本書を読んで基本の基本から学んでみてはいかがだろうか。

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2007.08.29

書評 『いつまでもデブと思うなよ』 岡田斗司夫

こちらの記事は、「実践 レコーディング・ダイエット」とダブっています。

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

新潮社 2007-08-16
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 本書は、オタキング岡田斗司夫が1年と数ヶ月かけて、117kgから67kgまでダイエットした体験をまとめたダイエット指南書である。岡田が行ったダイエット方法が、自ら名づけた「レコーディング・ダイエット」。毎日の食事をレコーディング(記録)することが基本であることから命名された。

 毎日口にした飲食品とその時刻のメモをとる。メモを取って自分の食生活にうんざりしたら、今度はそのカロリーを計算して書き込む。これを毎日続ける。そんな面倒なことは絶対にできない、と思った方、2~3日程度だったらできるでしょう? カロリー計算は第二段階なので、口にしたモノを記録するだけでも試しにやってみるといい。いろいろなことがわかってくるから。

 岡田によれば、デブは努力しないと維持できない。デブを維持している以上は、太るための努力をどこかでしているはず。これを探るのがレコーディングなわけだ。すくなくとも自分は太っていると自覚のある方は、3日も記録をとると愕然とするはずだ。カロリー計算をすると更に愕然とする。

 第三段階として、一日の摂取カロリーを1500kcal程度に保つようにするわけだが、ほかのダイエット法と違って、「レコーディング」された事実という動機付けがキチンとできているから、とても入りやすい。これだけでなく、「レコーディング・ダイエット」はもっともっと奥が深い。それと、ダイエットを成功させるためのノウハウと本人の体験談が満載で、とても心強い。

 ぼくは3回読んだ。このダイエット法はいい。ともかく、身に覚えのある方は是非読んで実践してみて欲しい。言ってみれば「オタクによるオタクのためのダイエット法」だろうか。ちょっとググって見ると、確かにブログなどで自分の食事を公開してダイエットしている人は多い。以前書いたが、ぼくも1998年に初めてサイトを公開したときの日記が「減量日記」だった。

 こうして、人生4回目のダイエットに突入している。レコーディングして6日目だが、すでに体重は2.6kg落ちて、体脂肪率が1.5%減った。ぼくの場合、準備が出来ていたので岡田の言う「助走」を飛ばして、いきなり「離陸」段階のカロリー計算からはじめた。実はこれも2日程度で、すぐに1日1500kcalの食事構成を想像できて、1500kcalに抑える「上昇」段階に入った。

 そうなのだ。岡田は自身のダイエット体験から、「レコーディング・ダイエット」を見事に体系化して再構築している。ダイエットの段階的進行具合を「助走」「離陸」「上昇」「巡航」「再加速」「軌道到達」と名づけた。詳しくはネタバレになるので、これ以上は書けない。リバウンドの危険性まで考慮され、自堕落なデブの心理に深く踏み込み、更に時代までも反映した、実に考えられたダイエット法だ

 岡田の言うように、いまの世の中は本当にダイエットしやすいように配慮されている。ぼくも買い物に行くたびに、コンビニやスーパーで食品のカロリー表示を眺めている。中には書いてないものもたまにあるが、大抵のものにはカロリーが表示されている。気がつかなかった。意外なものが高カロリーでびっくりする。

 ここから先が実にオタクっぽいのだが、いつまでも陳列棚から離れないので、カミさんに呆れられてしまった。おもしろいのだ。自分の好みに合わせて、1日の食事構成を考えることがすごくおもしろい。これを岡田は「パズル」と言った。まさに言いえて妙だ。一度などは、1時間近くスーパーに留まって棚を見て回った。低カロリーでおいしそうなものもいくつか見つけることができた。

 このような、ダイエットにカロリー計算を用いる方法は昔からあったダイエットの王道だ。しかし、成分表などから行うカロリー計算が面倒で、なかなか実践できなかったのだ。だから、スーパーのお惣菜やコンビニ食品を主食としている人には、実際とてもカロリー計算がしやすい環境が整っている。つまり、岡田も本書で書いているように、単身者向けのダイエット法と言える。

 困ってしまったのは、家庭料理のカロリー計算だ。本来ならば、食品ひとつひとつを積み重ねて計算しなければならないのでとても煩雑だ。これについてはチラっと触れただけで、具体的にレクチャーしてくれていない。もちろん、ググれば大概のことはわかるのだが、いまのところかなり面倒な思いをしている。いまは、ググりながら、ひとつひとつの料理について、近似値を出す努力をしている。いずれ慣れてくると思う。

 もうひとつ。リバウンドについての考え方に疑問を持った。「絶対リバウンドしない」と豪語しているが、軽々しくそんなことを言っていいのかな? 岡田自身も2度ダイエットをしたことがあって、2度ともリバウンドをして失敗したそうだ。ぼくも過去3回経験があるが、どれもリバウンドしている。

 うまいこと岡田の言う「軌道到達」を果たして、食べ物の嗜好が変わり、「欲望」と「欲求」の区別がつくようになって、その通りに生活すればリバウンドはしないだろう。しかし、それはあくまでも「理想」であって、岡田の「現実」ではない。岡田の実践するダイエット法は生活様式や人生のあり方まで含めた深いものだ。

 大げさな言い方になるかもしれないが、岡田の身体の欲求その他に対する思考方法は思想・哲学にも通じるものがある。あるいはカルト。だからうさんくさい? いえいえ、是非、自然体で成功したままの生活を続けて欲しい。これだけのことを書いたのだから、絶対にリバウンドは許されないよ。注視したい。

 ここまで読んで、なんだ簡単じゃないか明日からやってみよう、と思った方。たぶん失敗しますよ。ネタバレになるので、書けなかった部分に本書の真骨頂があるのです。デブの心の動き、乗り越えなければいけないダイエットの壁、真の食欲についての考察など、非常に細やかな思索による配慮がなされていて、実践者を後押ししてくれます。是非一読を。

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 最後に、ダイエットの友、体重と体脂肪率を同時に測ることができる体重計を紹介しておく。電気店で見ると、こういうタイプの体重計は軽く10,000円くらいする。でも、そんなに高額なのは必要ないですよ。これで充分です。ぼくは同じものを楽天で買ったけど、Amazonで見たら楽天より安かった…orz。体重を100g単位で、体脂肪率を0.1%単位で測ることができる。データは6人まで登録可能。優れものです。

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2007.08.24

書評 『ひとは情熱がなければ生きていけない(勇気凜凜ルリの色)』 浅田次郎

ひとは情熱がなければ生きていけない(勇気凜凜ルリの色) (講談社文庫)ひとは情熱がなければ生きていけない(勇気凜凜ルリの色) (講談社文庫)

講談社 2007-04-13
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 本書を一読して、ある種の寂寥感に襲われた。そしてのち、とても悲しくなった。ぼくが浅田次郎=洒脱な名文家とのイメージを持ったのが、一連の『勇気凛凛ルリの色 』シリーズのエッセイだった。破天荒なエネルギーに溢れ、ユーモアに溢れ、ときに涙を誘う、すばらしい連載エッセイだった。

 『鉄道員(ぽっぽや) 』で直木賞を獲ったあとでも、浅田次郎は小説よりもエッセイの方がおもしろいと書いたことさえある。そのくらい浅田次郎のエッセイはおもしろかった。おもしろくてほろ苦かった。人生の機微を行間で表現した軽妙洒脱な文章は、他の追随を許さなかった。しかし、そんなイメージは本書を一読して間もなく、ガラガラと音を立てて崩れ去った。

 人は誰でも変わる。誰しもに立場がある。天下の直木賞作家で、いまや直木賞の選考委員を務めるまでになった作家に、週刊現代連載当時のエッセイを期待したぼくが間違っているんだろう。ならば、作家のエッセイでは右に出るもののない「勇気凛凛ルリの色」の名前を冠して欲しくなかった。

 週刊現代で、「勇気凛凛ルリの色」の連載がはじまったのは、1994年秋だった。当時は『プリズンホテル・秋』が出たばかりで、まだ海のものとも山のものともつかない新人作家だった。しかし、すでに『蒼穹の昴』の原型とも言われる『日輪の遺産』を発表しており、劇的におもしろいと評判だった『プリズンホテル・シリーズ』や、最近映画化もされた『地下鉄(メトロ)に乗って』と合わせて、一部の本好きの間では評判になっていた。

 一読でファンになったぼくは「勇気凛々ルリの色」を読むために、毎週のように週刊現代を買い続けた。連載が続いた4年間は、こんなおもしろい文章を書く作家がいるぞ、と機会あるごとに本好きの知り合いにすすめて回った。期待を一身に受けた浅田次郎は、この連載の間に『鉄道員(ぽっぽや) 』で直木賞を受賞するという快挙を成し遂げてしまう。ご本人もエッセイで書いておられるように、本当に稀有な出来事だった。

 直木賞受賞は、ぼくにとっても思い出深い出来事だ。ぼくが見つけた作家ではないのに、あの頃は自分が発見したような錯覚に陥っていたのだ。知り合いに紹介し続けた無名の作家が、あれよあれよとブレイクして直木賞まで受賞してしまう。こんなことは滅多にあることじゃない。ぼくはぼくで、知り合いに本読みとしての選球眼の確かさをアピールする結果となった。

 受賞前年の1997年1996年に『蒼穹の昴』で初めて直木賞にノミネートされたとき、絶対に受賞する、とぼくは周囲に公言していた。しかし、残念ながら受賞はならなかった。直後のエッセイは涙なしでは読めない。同じように、受賞直後のエッセイもまた涙なしでは読めない。こうして、ご本人と一緒に泣き笑い、時間を共有したような錯覚を起こさせる、そんな連載だった。それだけに浅田次郎には思い入れが深い。心に残っているエッセイがいくつもある。

 本書に収められているのは、あちこちの雑誌に書かれたエッセイを寄せ集めたものだ。中には講演を書き起こしたものまである。だから、統一感がない。同じような話が何度も何度も出てくる。必死に統一感を持たせようと編集しているが、残念ながら徒労に終わった。こういったところは作者のせいじゃない。すべては、恥ずかしげもなくスケベ根性を丸出しにした出版社の責任だ。

 最も腹立たしいのは、浅田次郎渾身の三島由紀夫論を詰め込んでしまっていることだ。おかげで後半に見られる若干軽妙な文章と、全然バランスがとれなくなっている。鍋料理じゃないんだから、何でも詰めこみゃいいってもんじゃないでしょう。文学論や作家論などの、硬めの文章で一冊上梓できるくらい貯まるまで待つべきだった。それとも、浅田さんはもうこの手の文章を書くつもりがないのか。

 そのほかのエッセイはあまりパッとしない。もちろん、見事な文章もあるのだが、週刊現代で書き尽くしてしまったかのように、過去に語られた文章の繰り返しがほとんどである。成功を収めたあと、すべてが順調に推移しているときの単発なエッセイだから、密度薄く緊張感に乏しいのもいたしかたないとは思う。しかし、問題意識の欠片もないのは、それこそ問題じゃないか?

 繰り返しになるが、週刊現代に連載当時のエッセイを期待したぼくが間違っている。でも、作家の目を通せば日常に波乱万丈があるでしょう? 含蓄の深い出来事はあるでしょう? エッセイの名手浅田次郎が、ごく普通の書き手のようにふるまっている文章を読むのが、一番つらい。どこか上から目線で、渇望感も、エネルギーも、哀切も、ユーモアも、覚悟も、何もかもが枯れてしまったようにふるまう文章は読みたくない。

 敬愛する作家浅田次郎にあんまりな書き方だが、そう思ってしまったんだからしかたがない。本書は稀有なエッセイ集「勇気凛凛ルリの色」を読んで泣き笑いした方々には、絶対にオススメしない。浅はかな編集者にはこう言いたい。「タイトル」をもっと大切にするべきだ、と。

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2007.08.20

書評 『楽園』 宮部みゆき

楽園 上 (1)楽園 上 (1)
宮部 みゆき

文藝春秋 2007-08
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 新刊本を追いかける読書からはとっくのとうに足を洗ったつもりだが、本書は発作的に購入してしまった。帯の惹引句が目に入った瞬間、まったくの「パブロフの犬」状態で、本書を手にレジの前に立っている自分がいた。引き返せない。「「模倣犯」から9年-前畑滋子 再び事件の渦中に!」ですよ。文春の勝利ですね。

 しかし、正直に言わせてもらえば、期待ほどの作品ではなかった。もちろん、宮部の作品だからある水準はクリアしているけど、残念ながら思っていたほど感動させてはもらえなかった。『模倣犯』もそうだったが、前半は期待させてくれる。しかし、後半になって、物語が大きく動き始めると、途端に苦しくなってしまう。

 前半部の木目の細かさは、さすが宮部だ。『模倣犯』 の事件を本としてまとめることができず、それどころか本来の「書く」という仕事すら出来なくなった前畑滋子が、ふとしたことでライターとして復帰する。ハードボイルド風に言い換えてみれば、本書は前畑滋子の「過去の清算」物語とも言える。

 しかし、これは作者の宮部自身にも当てはまることではなかったか。世間的に耳目を集めた『模倣犯』以来、なかなか現代を舞台にした小説を書いてくれなかった。お茶を濁したと言っては大いに失礼だが、時代小説やファンタジーなどは、『模倣犯』を読んだ読者にとっては、宮部作品として満足できるものではなかった。『模倣犯』を読んでしまったのだから、仕方ないでしょう。

 また、『模倣犯』は宮部の作風から見ても、大きなターニングポイントだったように思う。以後、宮部が描くミステリはテーマが変わった。『名もなき毒』(宮部にしては珍しい正統派探偵小説)もそうだったが、犯罪そのものよりも、加害者・被害者とその家族などの周囲の人々を描くようになった。小説家宮部みゆきが獲得した真の社会性だと思う。

 作者が得た社会性を帯びたオリジナルなテーマを、その契機となった『模倣犯』の重要登場人物で昇華、あるいは確認してみる。本書はそんな作業のように思えた。それなら多くの現代小説は書けない。「あらかじめ失われた楽園」を見い出すための代償を支払ったのは、宮部自身だった。そこに「楽園」があるかどうかは、今後の仕事にかかってくる。

 木目の細かさは、超能力者萩谷等の母親(萩谷敏子)に向けた「おばさん描写」とその家族たちの描写にもいかんなく発揮されている。しかし、このご託宣を述べる老婆を中心にした家族に向ける前畑滋子の洞察が、宮部の描写だけでは性急のように思える。どうもにも浅い。滋子の鋭さというよりも、予定不調和の浅さと言ってもいいような不健全さ。

 こうした前半部から、後半に入って物語は急展開する。しかし、解決部を、滋子が土井崎向子宛に送った手紙で過去語りをさせてしまった。読者の興奮を鎮めさせることなく、結末を土井崎向子に伝えるべく送られた手紙。この手紙が最も不自然だった。この手紙が更に読者に向けて謎を解明させる契機となるから、どう物語を構築するか捻って捻った末の処置のような気がする。

 これだけでなく、土井崎向子の登場のさせ方や別視点の物語挿入など、構成上いろいろと工夫を凝らしている。しかし、土井崎向子のドラマチックな登場のさせ方と人物造型や、ラストの意外性はあるが妙に宮部らしい展開は良いとしても、別視点での物語挿入は必要ないように思ってしまった。

 ここまで凝らなくても、作者の「土井崎茜はひとりじゃない」というメッセージは伝わってくるのだ。ここまで語られると、逆の効果を強く感じてしまう。どうにもしつこくコジツケに思えてしまうから困ってしまう。相変わらずの語りすぎ。特に、土井崎向子に向けて滋子が発した「茜を見た」は演出&レトリック過剰でしょう。

 本書のひとつのテーマは「超能力」だ。しかし、宮部お得意の「超能力」ジュブナイル風物語の範疇には入らないかもしれない。なんせ、サイコメトラーの小学6年生は既に亡くなっているから。その亡くなった少年の描いた「絵」が、少年が超能力者だったと主張している。母親の依頼で、前畑滋子はこれを証明しようと動くわけだ。このあたりの着想はとても良い。

 残念なのは、両親に殺されて埋められた茜の妹-土井崎誠子が描ききれていないように見えることだ。茜を除けば最大の被害者である彼女に、なぜか宮部の筆は冷たい。悩むだけでは、前に進まないのはわかるが、萩谷敏子や土井崎夫婦に送る視線と比べて、誠子に送る視線があまりに冷たすぎた。

 滋子自身が「模倣犯」事件を克服するのに相当な時間を要しているのに、被害者と加害者の家族である土井崎誠子に対してなぜこんなにも冷たいのか理解に苦しむ。なぜ、作者は滋子に誠子をそんな目で見させるようになってしまったのか、これも作者の意図が理解できない。もしかしたら、作者自身が誠子を見る目が変わったのか。

 いずれにしろ、土井崎誠子は物語の完成度を高めるひとつの鍵だったように思えてしまう。誠子にもっと深みか別の役割を与えれば、物語がひとりで動き出してもっと厚みを増したように思えてしまうのだが、どうだろう。『模倣犯』の書評に書いたように、真性宮部ファンでない自分がこんなことを書いてどうかと思うが。読み違えだろうか。

 三人称小説であるのに、滋子の一人称小説であるかのように描かれた本書の限界のようにも思える。ある意味、探偵小説の難しさかも。作者自身が「あらかじめ失われた楽園」を取り戻す作業としての本書であるならば、その作業は成功しているかどうか、それともぼくの見立てが大げさに過ぎるか、宮部ファンには一読をオススメします。

 ラストにひとつ。ネタバレにはならないと思うから書くが、サイコメトラー少年萩谷等が書いた、網川浩一のあの山荘の絵が解決されていない。等は実際に会った人か、後半の萩谷敏子の例をとれば実際に触った人の記憶を読み取る能力を持っている。では、あの山荘の絵はどう解釈すれば良いのか。もうひとつ壮大な物語が生まれる予感がする。どうですか>宮部さん? 当然折込済み?…(笑)。

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2007.08.09

書評 『日本人はなぜ戦争をしたか-昭和16年夏の敗戦』 猪瀬直樹

日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)

小学館 2002-07
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 1983年『昭和16年夏の敗戦』というタイトルで、世界文化社から刊行された猪瀬直樹36歳の著作。1986年に文春文庫に所蔵された後、長く絶版状態だったものが、「猪瀬直樹著作集」のNO.8として小学館から2002年に刊行された。

 1991年に開戦五十年特別企画としてフジテレビによってドラマ化されたので、ご記憶の方もあるかもしれない。中村雅俊、神田正輝、田村高廣らが出演する2時間ドラマだった。

 1941年(昭和16年)、外務省、大蔵省、内務省、陸軍省、海軍省、日本銀行などの官僚と、日本製鉄、三菱鉱業、日本郵船などの民間から選び出された30歳代のエリート36人によって「総力戦研究所」が設立される。向こう一年間にわたって、武力戦、思想戦、経済戦、国内政策、対外政略などの国家総力戦を実行するための訓練を受けることが目的だった。

 しかし、途中から趣旨が変質する。これら36人で、日本をモデルとした仮想国の「青国」を舞台に「模擬内閣」を組織して、開戦か否か、開戦した場合はどうなるのかを議論することになるのだ。血気盛んな各分野の専門家たちが集まっているから、非常に率直な議論が行われることになる。

 そして、導き出された結論は「日本必敗」だった。少壮のテクノクラートたちが、あらゆる事象、あらゆる数字を駆使して日米戦をシミュレーションしても、決して米国には勝利することができなかった。この「日本必敗」を日米開戦前の昭和16年8月、当時は陸軍大臣を務めていた東條英機を含む近衛内閣の眼前で報告を行うのだ。

 いまでも、謎とされる「日米開戦」。政府と、政府が侵す事のできない天皇大権としての統帥権を定めた明治憲法に原因を持っていく人も多い。時の政府と大本営(統帥部)の開戦を巡る駆け引きと、同時進行で「総力戦研究所」の活動を対比させるように描く。

 猪瀬直樹の取材は、毎度ながら細やかだ。書籍に頼ることなく、存命の関係者にインタビューを行って、淡々と書き起こしている。推論も大きく飛躍せず、事実を踏まえた上で行う。こうして猪瀬直樹が導き出した、東條英機の実像にかなり驚かされた。

 連合軍の宣伝や東京裁判やぼくらが受けた教育などによると、東條英機こそが戦争を引き起こした張本人でまさに極悪人である。しかし、本書によれば、首相である東條は開戦を望んでいなかったらしい。なぜなら、東條は天皇に忠実であったから。その開戦を望まない昭和天皇と、開戦を迫る大本営との間で板ばさみとなり、非常に苦しんだという。

 しかしながら、首相就任前は主戦論者だった。更に、開戦を決定する内閣の総理大臣でもあった。残念ながら、東條英機はあの時代の歴史に登場するべきではなかった。まったく理念のない政治家。政治家というよりも場当たり的な官僚と呼ぶべきかもしれない。あの時代にこのような人物しか持つことができなかったのは、不幸と言うしかない。

 本書が問いかけてくることは何か。開戦直前に行われた、開戦後に南方から石油を確保するにあたっての、貯蔵量の報告会議が象徴的だ。誰の意思でもなく、ただ流され作られてゆく数字。局地的にみれば、現代の日本のどこで行われてもおかしくない空疎な実に日本的な会議。

 終戦記念日を控え、肝に銘じておきたい。

 

 PS:しばらく留守にします。

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2007.08.06

書評 『極大射程』 S・ハンター

極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)
Stephen Hunter 佐藤 和彦

新潮社 1998-12
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 2007年6月1日に公開された映画『ザ・シューター 極大射程』の原作本。
 これぞエンターテメント。文句無く楽しめる。上下2巻とちょっと長いけど、冗長なところがまったくない。ハラハラドキドキの物語の中にいろいろな仕掛けが配置されている。それは時限爆弾みたいなもんだから、より劇的にってのも頷けるんだけど、ラストあそこまで引っ張らなくてもね。そんな仕掛けといえば、ダイイングメッセージまであるのだ。これで本格物の読者まで射程に入れたか。

 何といっても、練りに練られたストーリィが抜群におもしろい。伝説のスナイパー ボブ・リー・スワガーが罠に嵌められ、大統領暗殺犯の汚名を着せられる。そして、もう一人の主人公と交錯する。FBIのニックだ。ニックもまた運命に翻弄される。間一髪逮捕を免れたボブは自らの汚名を削ぐため、愛する人を守るため、陥れた組織を相手にたったひとりで戦争を仕掛けていく。

 この大胆な戦争を仕掛けていく主人公ボブの信条は、
 「自分や自分の大切なものを傷つけようとしている相手以外は、誰も傷つけてはならない」
 「自分の義務だと思えることをする」
 まるでハードボイルドのヒーローのセリフだが、ボブのストイックさはまさにハードボイルドそのものといえよう。銃という武器を持つ者の誇りを端的に表している。この信条を胸に、ボブは人間離れした殺傷力で数多くの窮地を切りぬける。

 作者は「ワシントン・ポスト」の映画批評欄のチーフらしい。だからなのかどうかは解らないけれど、時間経過や場面転換がやけに映画的。騙し騙されの殺戮ゲームはドラマチックに進行し、長いエンディングの末迎えたラスト。大きな時限爆弾が爆発するのだ。賢明なる読者はとっくに気がついているんだけど。これで良いのだな。

 それにしても、、それにしても、アメリカにはこんな銃オタクがウヨウヨしてるんだろうか? 作者からしてが大変な銃知識。この本に書かれた銃に対する薀蓄は楽しめる人とそうでない人がいることだろう。武器を持つ人間にはボブ・リー・スワガーのようなダンディズムが必要なのかもしれない。物語そのものに銃天国アメリカの言い訳めいた一面を見たような気がしたのだけれど…

 93年の出版時に目の早いパラマウントが映画化権を獲得した。しかし、なかなか映画化されず、99年にキアヌ・リーヴス主演でアナウンスされたが、果たせなかった。で、ようやく今回マーク・ウォルバーグ主演で映画化された次第。ところが、あんまり評判が良ろしくない。原作の方がずっとおもしろいとの声が多く聞こえてくる。映画はどうなんでしょうね。
(文章をちょっといじって、サイトから転載)

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2007.08.03

書評 『日本国の研究』 猪瀬直樹

日本国の研究 (文春文庫)日本国の研究 (文春文庫)

文藝春秋 1999-03
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 帯に『小泉構造改革の「バイブル」』の文字が躍る。文芸春秋1996年11月号~1997年1月号の3回に分けて連載されたものをまとめた本だ。帯の惹句は決して大げさでなく、本書を読むと、小泉前総理が躍起になって推進した「郵政民営化」の本質があらためて見えてくる。しかし、腐敗は財政投融資についてだけではなった。

 道路公団、郵政、財投、特別会計、公益法人、利権、腐敗、天下り、官僚支配への追求と改革は、すべてこの本からはじまったといっても過言ではない。実際、連載当時から国会開催時に議員たちが文春の記事のコピーを回し読みしていたという伝説の名著だ。巻末の竹中平蔵の解説が、自らの能力不足と悔恨を表しているようでおもしろい。若干痛いが。

 官僚たちの構造的な腐敗がはじまったのは、1960年代からのようだ。「優秀な」官僚たちが、自分たちに都合の良いように法律の穴を突き、「規制」と「許認可」と「カネのたらい回し」と「補助金泥棒」による収奪の法則を作り上げた。それに乗っかる政治家の姿が田中角栄しか描かれていないのは残念だが、本書の主題はそこにはないので論っても詮無いことだ。

 猪瀬直樹の手法は徹底している。どの著作でも同じだが、徹底的に資料を読み上げ、矛盾を浚いだして突き詰めて事実を積み上げる。それでも見えない部分は、現場へ足を運び、また当事者たちにインタビューを行って更に積み上げる。こうして隠された真実、或いは資料から導き出される確信的な推論が炙り出される過程は、ミステリーに通じるところがあり、読者を飽きさせることが無い。

 各省庁が、法律で禁止されている「子会社」のような「特殊法人」をどうやって作ったか。その「特殊法人」が更に子会社を作り、どうやって集金の法則を作り上げたか。それらのシステムにどれだけの税金がつぎ込まれ、無駄に消費されていったか。端的に言えば、現在の日本の行政システムは、官僚が税金を食い荒らすシステムなのだ。まるで社会主義国家のような日本の官僚システムはこれほどであったのか。

 いまでこそ、このような報道をするマスメディアも増えてきたが、10年前当時は誰も教えてくれなかった。しかも、この作業はドン・キホーテで終わっていない。ご存知のように作者は、2001年小泉内閣の行革断行評議会(行政改革担当大臣の諮問機関)に名を連ね、2002年には道路関係四公団民営化推進委員会委員に就任して、民営化を完遂した。

 作者の力がすべてとはいわない。しかし、「日本道路公団」の分割・民営化は猪瀬直樹がいなければ、できなかったのではないか。それ以前に、道路公団と同じくらい財政投融資を食い散らかしていた「住宅・都市整備公団」は分譲をやめ、賃貸に特化するようになった。そして、郵政民営化に至る。

 誤解しないでいただきたいのは、本書は小泉前総理の構造改革を、理論的にバックアップし正当化する目的で書かれたものではないことだ。チラッと小泉は登場して意気に感じたような記述はあるが、郵政民営化についてはそれほど大きなスペースが割かれていない。

 整理できないほどに複雑・巨大化した「特殊法人」。すでに知れ渡っていることであるが、政治の力で解体させるのが難しいならば、お金の出所を押さえようと言う発想が「郵政民営化」の本質だった。これは、行政改革のほんの一部である。本当にいまさらながらで申し訳ないが、本書を読むと腐りきった官僚の本質が見えてくる。基本中の基本の書である。

 続編に『続・日本国の研究』があり、道路公団民営化に際しての一部始終は、『猪瀬直樹 道路の決着』 『道路の権力』で読むことができる。

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2007.07.28

書評 『一瞬の風になれ』全3巻 佐藤多佳子

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)

講談社 2009-07-15
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 これぞ青春小説の決定版!

 以前、長男が中学生だったときに、あさのあつこの『バッテリー』全6巻を熱心に読んでいるのを見たことがあった。ぼくはその本を知らなかった。常に本に埋もれている父親が知らない本を読んでいることが、とても意外で誇らしかったようで、若干の上から目線で貸してくれた。終盤は冗長になるが、確かにおもしろかった。下の『模倣犯』の書評にも書いたが、青春小説好きのぼくにはツボだった。

 そんな長男が高校に入学した今年春、読んでいたのがこの本。なんでも、長男の高校に関係したどこかのネット掲示板で話題になっていたらしい。高校の略称が、この本に出てくる高校と同じなんだと。しかも、去年の3年がインタハイの100mを制したとか。読み方は違うのだが。読書のきっかけなんて何でも良い。ヤツはたった2日で3冊読みきったそうだ。

 どうも最近新刊に疎くていけない。帯には「2007年 本屋大賞受賞」「第28回 吉川英治文学新人賞」とある。おお、敬愛する花村萬月や浅田次郎が獲った賞じゃないか。本屋大賞って、そういえば『夜のピクニック』はおもしろかった。手にとったときの感想はそんな感じだった。前置きが長くて申し訳ない。

 読み始めたら止まらなくなった。朝出勤前、通勤電車の中、会社で昼休み、夜帰宅する電車の中、夜寝る前深夜…。こうして、ぼくも3巻を2日で読みきった。自分の子どもくらいの年齢の主人公に、これほど感情移入できるおぢもまた珍しいかもしれない。本当におもしろかった。

 全3巻それぞれの巻数が主人公の高校での学年と同じだ。1巻目の高校入試直前からはじまり、3巻目は3年のインタハイまで。物語は、中学時代サッカーをやっていて、高校で陸上部に入部する主人公(俺-神谷新二)の一人称で語られる。彼の成長を通して、あのころ-思春期-にモガイテいたすべての事柄が、サラリと熱くユラリと切なく、余すところなく描かれている。

 全編陸上部を舞台にした物語である。主人公の神谷新二は、陸上部で短距離をはじめる。彼の成長が、薄い皮を一枚一枚重ねるように、丹念に描かれる。それは、100mのタイムが上がることだけではなくて、心の成長と周囲の友だちの成長と合わせて描かれる。ここが重要で、傑作に至らしめた大きな要因だと思う。

 そうだ。自分ひとりだけが成長するわけではない。みんなが悩み、みんなが挫折し、みんなが輪を乱して、それをみんなが共有することによって、乗り越えてゆくのだ。もちろん、必ずうまくいくわけじゃない。だが、この本にウェットでジメジメした馴れ合いはない。少々出来過ぎの感は否めないが、いまの高校生の体温がとてもよく伝わってきた。

 子どもたちの成長物語のもうひとつの側面は、陸上競技の物語としての完成度の高さだろう。それも主人公の種目は短距離だ。たった10秒を勝ち抜くために、選手たちは自分を鍛え、走る技術を磨く。微に入り細を穿つ丹念な取材に裏打ちされた説得力のある描写で、10秒のドラマを解き明かしてくれる。主人公の人間としての成長に合わせ、短距離ランナーとしての成長も文章で表現してくれる。

 本当にすばらしい。こんな小説読んだことがなかった。こんな小説が読みたかった。作者の佐藤多佳子さんに、感謝の気持ちで一杯だ。ダメだ。こうやって書いているだけで、涙腺が緩んでしまう。これこそが、青春小説の王道で、後々まで語り継がれるであろう、まっとうな青春小説だ。

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書評 『模倣犯』全5巻 宮部みゆき

模倣犯1 (新潮文庫)模倣犯1 (新潮文庫)

新潮社 2005-11-26
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 宮部みゆきの代表作は『火車』だと信じて疑わない。忘れられない。『火車』を契機として、宮部は穏健な社会派作家へ移行していくのかと思っていた。ところが、そうでもないようだ。相変わらずジュブナイルな雰囲気を漂わせていらっしゃる。ご本人も自らを「ショタコン」とおっしゃっているので、これは終生変わらないのかも知れない。

 ぼくは青春物が好きなんだけど、それでも宮部のジュブナイル風味にはどうしても合わない。青春小説じゃないから当然なのだけど。少年少女向け風味のエンターテイメント小説で甘酸っぱくない。大人の視点から作りこみ過ぎて、若者が作者の道具に成り果ててしまっているような印象。

 多くのファンを抱える作家なのだからぼくの感覚がおかしいんだろうけど、ついでだから思い切って書いちゃえば、特に『龍は眠る』とか『レベル7』『蒲生邸事件』あたりのジュブナイル風SF風小説には飽き飽きしている。一方で、宮部の暖かさに惹かれるのも事実で、その温もりと社会性が見事に合体した『火車』が忘れられないのは納得していただけると思う。

 だから、『理由』で直木賞を受賞したときは皮肉に思えた。ああいったジャーナリスティックな手法には感情の入る隙間が乏しい。その分、宮部の他作品からはかなりの隔たりがある。温もりは格段に薄い。宮部ファンはああいう作品は読みたくないんじゃないかな。ぼくはおもしろかったけど。

 こうして見ると、ぼくは真性宮部ファンではないようだ。その傍流宮部ファンにはこの物語がどう見えたかというと、ジュブナイル趣味と社会性の合体した小説ということになるだろうか。別に血腥いサイコ野郎だけに震撼しているわけではない。エグいシーンの一つも無しでこれだけのサイコ野郎を描けているのはさすがだと思う。

 しかし、作品から受ける印象は品行方正で潔癖。だから凄みはまったくない。なくても問題ないのは、宮部の主眼がそこにはないから。そこそこで充分なのだろう。では、主眼は何かというと、加害者・被害者の家族をはじめとした周囲に降りかかる苦痛と影響なのである。これに関して、彼女の潔癖ぶりは尋常ではない。

 書く書く、これでもかこれでもか。瑣末な脇役にまで主役を張れるほどの背景を与え、書き込む書き込む逡巡させるさせる。結果出来上がったのは三千五百数十枚の超大作。たしかに重厚な小説だと思う。でも、長きゃあいいってもんじゃないでしょう。宮部ほどの小説家が、これだけ書き込まなきゃ言いたいことを言えないわけがないでしょうに。ぼくにはほとんどが言い訳に見えてしまう…。

 一本調子に、誰も彼もに深遠な背景が書き込まれるもんだから、悪い癖で斜め読みしている自分に気がつくこと度々。その度にページを戻った。申し訳ないが、必要無さそうな脇役がたくさんいた。主役級の人物にも流して良い人物がいると思う。この饒舌な人たちの中にあって、高井和明くらいには異彩を放たせても良かったろうに。

 巷で評判の有馬義男もそれほど魅力的とは思えなかった。だけでなくて、この物語では誰もに常識から外れるような勝手な動きをさせて、それを読者に納得させるべく行間を埋め尽くしているようにしか見えない。ひとことで言えば、度を越したあざとさ。ともかく作為的過ぎ。それはもちろん、宮部ほどの作家だから、水準点は軽くクリアしているのは間違いない。でも、ここまで読ませておいてあのラストはないだろう、と思ってしまう。

 丹念に伏線を張っておいて、それが前畑滋子の罠に通じるのもわかるが、それでも犯人はあんなに簡単に引っかからないでしょう。なんだか宗教的だなと、飛躍した感想を持ってしまった。序盤は大傑作の予感が漂ったのだが…。それでも、犯人の背景がまたまた…でウザいにしろ、劇場型犯罪者をここまで斬新に動かしたのはさすが、と言っておきたい。こんなヤツでてきそうだもんね。
(文章をちょっといじって、サイトから転載)

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2007.07.19

書評 『新聞社-破綻したビジネスモデル』 河内孝

4106102056新聞社―破綻したビジネスモデル
河内 孝
新潮社 2007-03

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 最近放送された「たかじんのそこまで言って委員会」で、勝谷誠彦がこの本をかざして「新聞は年間2,200万本の木を使っている」とおっしゃっていた。実はよく見えなかったのだが、「新聞社の元役員の方が書いたんだから、本当だろう」とも言っていたので、間違いないと思う。

 本書の著者である河内孝は、毎日新聞の常務まで務めた方だ。読んでいただくとわかるが、読売&朝日の2極構造を打破するべく、毎日&産経&東京の業務提携を画策して敗れ去り、2006年に役員を辞任した。かといって、暴露本ではない。ご本人も本書の中で、役員として知りえた文書や数字はベースにしないと言っておられる。

 だから、一言で言えば「甘い」。新聞業界の末席を汚すものとして読んでおかねば、と思ったわけだが、大半は知識の片隅にあるものばかり。押し紙の問題ひとつとっても、もっと具体的な事象を知っているはずだ。役員として知りえた数字をベースにしないわけだから、こういう書き方になるんだろうが、これについてはかなりがっかりした。

 他にもいろいろと不満がある。が、企業の中で役員にまでなられた方が、自分の属していた、それも社会的な影響の大きい業界についてすべてをぶちまけるには、命を賭けるくらいの覚悟が必要かも知れない。そう考えれば、ここまでよくぞ書いたという気持ちも湧き上がってくる。

 しかし、それと新聞業界の欺瞞は別物だ。有体に言えば、今の新聞業界は詐欺体質なのだ。残念ながら、詐欺の本質である押し紙の比率についても、本書では明らかにしてはくれない。取り上げられている数字が10%だったり30%だったり40%だったりとはっきりしないのだ。手順を踏めばすぐに明白になる数字を、意識的にぼやかそうとしているように思われてならない。

 自分の印象を含めて押し紙の比率を考えるなら、本書で取り上げている大きめの数字である30%程度はあるのではないかと思う。各店によって差はあるだろうが、最低でも10%はくだらない。新聞店に10%から30%もの新聞を押し付けておいてそれを発行部数に換算する。1,000万部発行などと言っていても、実際は700万部程度が良いところなのかも知れないのだ。300万部が無駄に生産されているとしたら、相当なロスだ。当然、これらのコストは新聞価格に反映される。

 次いで被害を蒙るのは、折込チラシを配布する広告主だ。たとえば、持ち部数を4,000枚と公表している販売店でも、実際に新聞を配達しているお宅は3,000軒程度かも知れない。残りの1,000枚は捨てられてしまう。支払われた1,000枚分の折込広告料は労せずして販売店が懐に入れる。

 以前、神奈川県のとある企業が、不透明な各店枚数について訴訟を検討したことがあった。しかし、証拠集めや訴訟にかかる時間と費用その他を勘案して断念してしまった。相当に研究したらしいが、やり口が巧妙で、攻め口を見つけられなかったのだそうだ。新聞店主を見方につけなければ成立しない。

 このような詐欺行為だけでなく、本書では、なぜマスコミが第三権力と呼ばれるようになったかを克明に記している。言い換えれば、新聞社によるマスコミ支配の構図である。大新聞社がテレビ局を作り、各県の新聞を系列化し、巨大化してゆく。

 本書によれば、新聞社経営が行き詰まることがあっても、テレビ局が金を稼いでくれると高を括っていて、新聞経営者は安閑としているのだそうだ。しかし、最近のTVCMでは前にも増して「公共広告」を見るようになった。理由は簡単で、CMが集まらなくなってきているのだ。2007年7月第一週のゴールデンタイムの視聴率が9%を超えた番組が全局でひとつもなかった、という報道もあった。

 HDレコーダーの普及とか、インターネットに取られているとか、ゲームをやっているからテレビを見なくなったとか、単純に言えることではないと思う。構造的に変革を迫られる時期に差し掛かっている。このままいくと、再販の特殊指定問題も含めて、新聞は早々に立ち行かなくなる。集金マシーンだったテレビ局にも陰りが見え始めている。早く手を打たなくてはならないのだ。

 しかし、旧態依然とした新聞経営者たちは動かない。いや、知っていても動かないのかも知れない。作者がYahoo!の井上社長に言われた言葉が印象的だ。「世界中、日本中の毎日新聞支局のゴミ箱に捨ててある原稿の書き損じを全部下さい。あなた方は私達ユーザーが求めるニュースが全然分かっていないのですから」

 販売の問題だけでなく、こういった報道のあり方まで問われ始めている。欲しい情報はインターネットを調べれば瞬時に手に入る。今や、新聞はチラシを運ぶ入れ物とまで言う人がいる。物事の決定のディテールに「透明性」を求めるようになった社会に、まったく対応できていない。じゃあ、どうすれば良いのか。興味ある方は是非読んで欲しい。

 こんな書評もあった-「ガ島通信」

では産経はどうか。夕刊もなく、事実上、全国紙ではなく首都圏新聞になりつつあります。

 念のため指摘しておきます。産経新聞は首都圏新聞じゃないですよ。元々が関西で、大阪や奈良などシェア20%を超えている地域もあります。

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2007.07.06

書評 『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』 西村博之

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書 14)2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書 14)
西村 博之

扶桑社 2007-06-29
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 小飼弾の「404 Blog Not Found」で見かけて、予約注文した本。だって、あのひろゆきと小飼弾の対談が読めて、しかも佐々木俊尚(『次世代ウェブ グーグルの次のモデル』 『ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか』の著者)との対談まである。これは読まなくちゃなるまい。

 いきなり帯に「もうこれ以上、インターネットは社会を変えない。」なんてある。扉を開くと、『ウェブ進化論』で梅田望夫が啓蒙して爆発的に流布した「Web2.0」について、刺激的な内容が並ぶ。インターネットについて、常識となりつつあるあらゆる事柄に毒を吐き続ける。

 ひろゆき曰く、「Web2.0は流行商売のまやかし」「Web2.0はマイナスイオンと同じ」「Googleの技術は普通のこと、たいしたことない」「Googleのことをすごいと言っている技術者は自分の周りにはいない」「Googleですごいのは、企画力と営業力」「mixiで『大麻』で検索してみろ」「集合知を妄信するな。集合知だと思っていたことが実は集合愚かも」「ちゃねらーは新聞より2ちゃんねるを信用している」…etc

 梅田本のおかげで熱狂的に広まった「Web2.0」に冷水を浴びせかけている。ぼく自身、ちょっと納得できないことが多くて、首を傾げていた事柄を見事に文字にしてくれていた。もっとも、ぼくの頭の中で渦巻いていた文字群よりもずっと過激だが。

 読み進めるうち、佐々木俊尚との対談が、ものすごく楽しみになってくる。だって、佐々木は「Web2.0」関連の書籍を多く出版している「Web2.0」伝道者のひとりなのですよ。否定し続けるひろゆきとの対談がどうなるのか、もうワクワクドキドキだった。

 しかし、ぼくが技術者じゃないからかもしれないが、小飼弾との対談には興味が薄れていってしまった。なんとなく、梅田望夫&茂木健一郎の対談『フューチャリスト宣言』に近いような体温を感じてしまったからだ。対談は異質で対極の考えを持つもの同士の方がずっとおもしろい。梅田本でも前述より、平野啓一郎との対談『ウェブ人間論』の方がずっとおもしろかった。

 ところが、佐々木俊尚との対談は知りきれトンボで終わってしまう。ひろゆきよ、なんでもっと突っ込まない。なんで、本音の答えを引き出さない。佐々木俊尚の曖昧さがすべての答えになっている、じゃ答えにならない。もっと具体的に言いにくいことまで突っ込んでこそだろう。たとえ、かみ合う箇所がひとつも無くて、途中で投げたくなったとしても。佐々木さんもちょっとだらしなかったな。もっと言ってやれば良かったのに。どっちも検閲されちゃったかな。

 というわけで、今のネット業界へのアンチテーゼ満載の本だ。裁判についてもかなりのページを割いているが、この部分はちょっといただけない。アウトローもいいが、もっと自覚してもいいじゃないか? 世の中にはネット=2ちゃんねると思っている人が相当数いて、その管理人 ひろゆき の動きが、2ちゃんねるの総意みたいに捉える連中もいる。自覚して欲しいな。

 ちなみに佐々木俊尚は毎日新聞出身のジャーナリスト。CNET Japan でいわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれる、日本では認められていない子どもの心臓移植を受ける家族たちへの募金活動に対して行われたネット上の非難と、それを取材して毎日新聞に掲載された記事を更に取材することによって、ネットに対する偏見を浮き彫りした秀逸な論評がある。ネット界では特に知られた論客だ。上記の記事について興味のある方は、リンクを記したので下記からどうぞ。
毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題
毎日新聞「ネット君臨」取材班にインタビューした
新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?についてのブログを表示する.

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2007.06.29

書評 『こうして治す アトピー』 竹原和彦

こうして治すアトピー (岩波アクティブ新書)こうして治すアトピー (岩波アクティブ新書)

岩波書店 2002-01
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 今年高校に入学した息子のアトピーがひどい。なかなか信頼できそうな医師に出会えず、処方されるステロイドに対する恐怖心も癒えず、悩んだ末にたどり着いた本だ。

 以前はごく普通の皮膚疾患と見られていたアトピー性皮膚炎が、なぜ、どのようにして難病のごとく見られるようになったのか。なぜ、ステロイドが悪魔の薬のように捉えられるようになったのか。皮膚科医の立場から、偽のアトピー情報を流し、それによって利益を得ている人たち-所謂 アトピービジネス-を強い怒りを持って断罪している。

 同時に、アトピー患者とその家族に対しての視線が優しい。
 この作者は、日本皮膚科学会のアトピー性皮膚炎治療のためのガイドライン作成に尽力した方で、それに基づいて第一線で治療している方だ。現在も金沢大学の皮膚科で外来を担当しておられる医師である。

 現場で得た様々な情報と科学的論拠を元に、ステロイド外用薬を適切に用いた治療法を解説している。もちろんステロイド外用薬の副作用についても、説明をしている。用法と容量を間違い易いので、注意が必要なのは当然だろう。これらを踏まえて、ステロイド=悪魔の薬と呼ばれるようになった経緯も、わかり易く説明が施されている。

 痒いのだから、対症療法は当然だ。実際、痒くて眠ることができない息子をみていると、本当にかわいそうだ。掻き毟り、血が出る。症状がひどくなると、まともな社会生活が営めなくなる。退学してしまう、会社を辞めてしまう。ステロイド外用薬で、痒みを和らげ、炎症を抑えるしかない。

 だから、信頼できる皮膚科医の存在が大切なのだ。自分の病気を知ることもまた大切だ。本書を読めば、身近な信頼できる皮膚科医の見つけ方から、自分の病気の進行度まで知ることができる。アトピー性皮膚炎に悩む方、その家族に是非読んでいただきたい本である。

 正直、作者が患者に言うある台詞で涙がこぼれた。
 悩む人は是非この本を読んで欲しい。

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2005.10.06

書評 『イン・ヒズ・オウン・サイト』 小田嶋隆

イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド
4023308005小田嶋 隆

朝日新聞社 2005-09-15
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 ウラツウアンテナで存在を知った浦和サポのコラムニスト。
 たまに更新されてもすぐに下に追いやられるので、大石英司さんのサイトで更新を知ることの方が多かったり。

 「おだじまん」 http://luna.wanet.ne.jp/~odajima/  と 「偉愚庵亭憮録」 http://takoashi.air-nifty.com/ をまとめただけ、ネットで読めるじゃん、と言われてしまえばそれまでだけど、この本は同じくネットで読めるのに買っちゃう人が多くて首を傾げさせた「電車男」なんかよりずっと買う価値がある。

 ただし、覚悟が必要かも。
 世に氾濫している八方美人で可も無く不可も無い、物事の上辺だけをヘラヘラとなぞっているだけの文章に慣れている人は、特に覚悟が必要かもしれない。

 一人の人間の生き様であり叫びでもある。
 おもしろいからといって、軽々しく肯定なんてして欲しくない。作者には悪いけどね。この毒を嚥下するには、相当の研鑽が必要だ。それと世の中を透徹した目で見る能力。生半可な人には薦められない。

 今となっては、オビにある「平成日記文学の金字塔、今ここにそびえる」が大げさとも思えない気持ちだ。

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2005.08.04

書評 『マンガ嫌韓流』

488380478Xマンガ嫌韓流

晋遊舎 2005-07
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 どの新聞も広告を受け付けてくれなかったとか、どこの出版社でも怖くて出版してくれなかったとか、すでに伝説化された感のある、超話題の『マンガ嫌韓流』。

 Amazonではぶっちぎりのベストセラートップだ。
 なのに、手に入るまで4~6週間かかってしまうのは、売れすぎて増刷が間に合わないからだとか。発売一週間ですでに10万部を売り上げたらしい。
 Amazonマーケットプレイスでは、定価1,000円の本にプレミアムがついて一時3,500円まで値が上がった。今でも、2,000円以下は少ない。

 しかし、これだけ売れて、話題になっている本なのに、マスコミは取り上げない。そうだよね、地雷だから。
 でも、今週発売の週刊誌が取り上げた! 皮肉なことに「週刊朝日」だって…。

 この本でとりあげたのは、ネット愛好者で、こっち方面に興味のある人にはおなじみの内容ばかり。
 一方的な近代史ではなく、公平な目で近代を見直したい方に最適な入門書といえる。
 これを読んで、どう判断されるか、それは読者の自由です。念のため。

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2005.07.05

書評 『THE CLOSERS』 マイクル・コナリー

0316734942The Closers (Harry Bosch (Hardcover))
Michael Connelly

Little Brown & Co (T) 2005-05-16
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2005年5月に出版された、ハリー・ボッシュ=シリーズ最新作です。

 秋に翻訳が出るであろうシリーズ9作目"LOST LIGHT"と、昨年出版された10作目"THE NARROWS"(訳出は来年か?)を未読の方は下記の感想を読まない方が良いと思います。流転するボッシュの人生について、感想を書くにあたって避けることのできないネタバレがあります。ご注意ください。

 以下、感想です。

 "THE NARROWS"で紹介された、復職プログラムによってボッシュはロス市警に復職する。これはリタイアして3年以内の元刑事を対象に、1年間の試用期間が設けられてはいるものの、警察学校等での再教育を経ることなく復職できる制度。
 某翻訳家のお話によると、退職したハリー・ボッシュに対して、現実のロス市警本部長から強力なオファーがあったらしい。実際のロス市警に最近、このプログラムが出来たようです。

 ボッシュが配属されたのは、未解決事件を再捜査するセクション。
 キズがパートナーとして復帰し、共に17年前に殺害された少女の事件を捜査することになる。因みに、新しい本部長が着任しており、天敵アーヴィングは閑職?に追いやられてしまっている。このアーヴィングが幽鬼のようです。

 "THE NARROWS"がかなり派手で動きも多く、その上謎にも多大な犠牲を払っただけのことはある超オモシロ小説だっただけに、そのギャップに少し戸惑ってしまった。
 一言で言えば、地味なのだ。
 物語も中盤を過ぎるあたりまで、ひたすら調書を読み、関係者を探し出してインタービューを繰り返す。考えるまでもなく、17年前の事件を掘り起こすわけだから、生の現場は無いし、手順通りの役割分担も無いわけだから当然といえる。
 でも、ここでボッシュは生き生きとしてみえる。悪を憎み、ひたすら事件を解決したいと願うボッシュがとても良い。

 地味な捜査小説が突如動き始めるのは、中盤を過ぎたあたりから。
 17年前と現在を結びつけながら、仰天の展開を持ってくる。新たな死体を出現させ、更に行きつ戻りつインタービューを繰り返すボッシュが、17年前の風化した現場を生の現場に変貌させてしまうのだ。
 ここからはもう、怒涛の寄り切り。そして最後にお約束の打っちゃり。
 未解決事件が関係者に及ぼした17年が痛い。

 ロス市警を背負っていると錯覚したアーヴィングが登場して、ややこしくさせるのだが、このアーヴィングにはちょっとばかり同情を禁じえない。
 アーヴィングまで含め、ラストは相変わらずほろ苦い。
 Kizにこんなことを言わせる。"Whatever you're doing, I'm going with you." 泣かせます。最後のボッシュの決意もとても良い。
 上にも書いたけど、個人的には、"THE NARROWS"の方が動きも目まぐるしく、謎も派手派手で楽しめた。でも、本来のボッシュは、やっぱりこちらだと思う。

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2005.04.30

書評 『紐と十字架』 イアン・ランキン

4151755012紐と十字架
イアン・ランキン

早川書房 2005-04-08
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 待望久しい、リーバス・シリーズの第一作である。
 邦訳順に読んで来た読者には、シリーズで何度も語られているサミーの子供のころの話とか、ジル・テンプラーとの恋愛物語とか、弟の話とか盛りだくさんの興味の対象がある。最大の興味は若いリーバスなのだが。
 中でも、最も注目するのは『血に問えば』でも事件の核として語られた、リーバスのSAS(陸軍特殊空挺部隊)時代のエピソードだ。トラウマとなり、リーバスの人生観を作ったと思われる地獄訓練。

 これを読むと『血に問えば』でリーバス自身が語った訓練の結末が違っていることがわかる。
 まあ、大したことではないんだけど、額面通りに読んでてっきり挫折していたと思っていたぼくはいい面の皮だ。
 作者は、どこから読んでも一作完結だから問題無しと言っているらしい。でも、こんな微妙なリーバスの心の動きが、読者に間違って伝わって誤解が生まれてしまうのはやっぱり健全とは言いがたい。
 第二作から第六作までも、早めにお願いしたいもんです。

 リーバスは41歳、娘のサミーは11歳の設定だ。
 連続幼女殺人事件と、リーバスの過去を絡めて事件が語られる。シリーズ後半の花、女リーバスことシボーン・クラーク刑事は出てこない。
 確かにリーバスはリーバスに違いなく、孤独に蝕まれている。どこか直線的な不満を感じさせるのは、リーバスの年齢設定か作者の若さゆえだろうか。
 
 物語全体から若さが滲み出て、ともすれば安易に流れてしまったように読めてしまうのは、仕方がないのだろう。
 文章も硬くて、肩肘張った気負いが感じられるのもまた、作者の若さゆえだろう。
 他にも、犯人に凄みが足りないとか、後半スリラーに転じても緊張感が足りないとか、新聞記者の役割がよくわからないとかいろいろ不満もあるけど、大好きなシリーズの第一作、才気迸る作者の第一作として楽しむことはできたかな。

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2005.03.18

書評 『THE WRONG GOODBYE』 矢作俊彦

THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイTHE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ
矢作 俊彦

角川書店 2004-09-10
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 磨き上げられた言葉たちが紡ぎあげる、見事なハードボイルド探偵小説だった。単語ひとつひとつに対する作者の拘りは尋常じゃない。
 レトリックのひとつひとつが、適度なアフォリズムを伴って、硫化して黒ずんだ渋く輝く銀のような味わいを持った極上の探偵小説だ。

 これぞ本物と思わせる雰囲気もまたすばらしい。
 日本人作家の手による日本国内を舞台にした作品で、これだけ本家アメリカ的な雰囲気を持ったハードボイルド探偵小説を、ぼくは今まで読んだことがない。
 国内を舞台に、これだけのハードボイルド探偵小説を書ける作家は、この人をおいていないのではとまで思わせてしまう。いくら横浜と横須賀を舞台に米軍を絡めても、凡百の作家は逆立ちしても無理だろう。

 近年の日本人作家のハードボイルドを見渡すと、真保裕一の『ボーダーライン』が最もアメリカ的な雰囲気を持った探偵小説だったように思うが、この物語はそれを軽く凌駕している。しかも舞台は日本だ。
 日本のハードボイルドと言えば、暗くジメジメした印象の作品が多い。
 しかし、この物語を覆うのは、アメリカのどちらかと言えば西海岸的な渇いた雰囲気だ。それでいて、得られる読後感は物悲しい。
 チャンドラーの『長いお別れ』へのオマージュなのだから当然なのだが、そう簡単に作って燻り出せるモノではない。凄いことだと思う。

 キザだとか、気取っているとか、無用な薀蓄だとか、先入観たっぷりのマイナスイメージを持って読み始めたのだが、それらはほどよくマイルドになり、心地よくぼくを満たしてくれた。
 カタカナが多く、肌が合わない人もいるかも知れない。でも、目指した到達点に達するためにはどうしても必要だったと、ぼくは納得している。

 ベトナム戦争に拘るのも、いかにも作者らしい気がした。
 残念ながら、ぼくは熱心な矢作読者ではないので、背景はうまく解説できないが、作者には70年代の匂いがプンプンする。それは変わらない。

 物語の謎解きも、探偵小説をインタビュー小説と読んではばからない、作者らしい展開で唸るばかり。当然、会話もまたすばらしい。
 しかし、才気ほとばしり過ぎたのか、若干物語を広げすぎた感は否めない。
 新しい展開を新しい登場人物の出現に頼るのではく、登場人物を絞って役割分担を整理したらもっとよくなったような気がしている。
 プロットが複雑なのは良いのだが、おかげで散漫な印象を残してしまったのが、残念だった。
 でも、そんなことは枝葉末節なこと。チャンドラーの『長いお別れ』へのオマージュを明言するに足る、ハードボイルドの傑作だと思う。
 堪能させてもらった。

 とりあえず、殴り書き書評なので、あとから修正するかも知れません。

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2005.03.11

書評 『チェイシング・リリー』 マイクル・コナリー

チェイシング・リリーチェイシング・リリー
マイクル コナリー Michael Connelly 古沢 嘉通

早川書房 2003-09
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 コナリーファンなどと広言しておきながら、一年以上も放っておいたわけだが。

 サスペンスにおいては、主人公に大小様々な枷をはめて動きを制限しておいて、作者はその枷を利用してこれでもかと主人公を窮地に追い込むのが常道だ。この枷は、時間的な枷だったり、心理的な枷だったりする。
 最もうまく利用しているのがサスペンスを知り尽くしたジェフリー・ディーヴァーで、この方の場合は肉体的なハンディという微妙な枷に活路を見出して大成功を収めている。ライム・シリーズがその良い例。

 コナリーの場合、この枷は外から見えにくい心理的な枷(トラウマ)を多用する。
 ボッシュを見れば一目瞭然。他では、マッケイレブは肉体的な枷だがちゃんと心理的枷もかけてある。キャシー・ブラックも?
 で、この物語の主人公・ピアスが、物語のための物語のようなドツボに巻き込まれるのもまた心理的な枷による、と作者は言いたいのだと思われる。っていうか、そうじゃないと説明がつきそうにない。

 しかし、これがどうにも弱い。
 新しく引いた電話に、リリーという娼婦に宛てた電話がジャンジャンかかってくるところから物語は始まる。これを放っておけないピアスが、自分から事件に巻き込まれていく。すでに乗り切れない。
 なんでそんなに一人で突っ走っちゃうんだとか、無人の家に侵入するときになんで指紋に注意しないんだとか、ともかく、主人公の化学者ピアスの行動は突っ込みどころが満載で、なかなか納得することができない。

 分子コンピュータを開発している気鋭の化学者という設定も邪魔している。
 ヘタレぶりとのアンバランスさで人間像を浮き彫りにしたかったのかも知れないが、後にトラウマが明らかになっても到底納得できることじゃなかった。
 悪役も凄みが無けりゃ、もう一歩で良い味を出しそこなった刑事も掘り下げ不足。

 結局、ボッシュ・シリーズの息抜きなんだろうか。
 そう考えてみれば、才能のある作家の箸休めみたいな印象もある。書き方は悪いが。
 ということで、コナリーの熱烈なファン以外にはあまりお薦めできません。
 『LOST LIGHT』の邦訳を待ちましょうね。

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2005.03.10

書評 『神はサイコロを振らない』 大石英司

4120035948神はサイコロを振らない
大石 英司

中央公論新社 2004-12
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 今更だけど、「神はサイコロを振らない」とは、アインシュタインが量子力学的な不確定性を揶揄して言った言葉で、自然界は偶然に左右されないというような意味のこと。つまり…。

 1994年8月15日に乗員乗客68人を乗せたまま消息を絶った旅客機が、10年後の2004年8月15日、当時そのままに時空を超えて還ってきてしまう。しかも、戻ってきた乗員乗客は三日後には再び消えてしまう運命にあるという。
 この神が与えた奇跡の四日間に繰り広げられる悲喜交々を描く、感動のハートウォーミングストーリィ。

 20世紀から21世紀にかけての前後10年間のクロニクルでもあるわけだが、5歳から老人までの多種多彩な乗員乗客の人生を通して、21世紀を生きるぼくらに与えられた黙示録と読むこともできる。
 人間賛歌というか、性善説的な人間の捉え方にとても好感が持てる。例え過剰に過ぎるとしても、人生と人間に対して肯定的だからこそ、世の中のあらゆる事象に対して苦言が吐けるのかもしれない。

 人物の配置は、今現在の大石さんを映していてとても興味深い。
 与党の幹事長あり、コミケに通いつめるオタクな婦人警官(!)あり、立候補を目指す自治官僚あり、プロ市民ありのごった煮状態。
 オタクといえば、お得意の航空機のシーンはさすがの臨場感だ。
 それぞれに見せ場を与え(プロ市民にまで見せ場を用意しているサービス精神にニヤリ)、人生の断面に光を与えようとする姿勢がすばらしい。

 最初ページをめくって、あまりの登場人物の多さに危惧してしまったのだが、杞憂に終わったようだ。プロの作家に対してあまりと言えばあまりの杞憂か。
 物語全体が美しく構成され、それぞれに凝縮された10年を余すところなく描ききっている。
 祝迫一家の航空機でのランデブー、富士登山中に突然消えてしまうシーン、すべてを呑み込んだ結婚式のシーン、などなど。すべてがこの最後のシーンに向かって高められてあるから、最後半部は涙なしでは読めないシーンが連続する。押し付けがましくなく、自然に流れる感動シーン。若干の甘さは、気にしないように…。

 神はサイコロを振らない、と言いながらも、神がちょっとだけ悪戯心を起こしたようなこの物語を読むと、アメリカでひとつのジャンルとなっているクリスマス・ストーリィという言葉を思い出す。
 クリスマス・ストーリィとは、クリスマスに起こる奇跡の物語を指す。子供が登場するのが条件だとか。すぐに思い浮かぶのは『クリスマスに少女は還る』とか『消えた少年たち』(上・下)とか。
 「日本だから、さしずめお盆ストーリィ」と評したのは佐々木譲さんだが、まさにそんな物語だった。
 心温まる、感動の物語。


 聖月さんにトラックバックをもらっているので、返しておこうかな。書いたよ、ということで。

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2004.12.29

書評 『消えた少年たち』 オースン・スコット・カード

消えた少年たち消えた少年たち
オースン・スコット カード Orson Scott Card 小尾 芙佐

早川書房 1997-11
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 新作を追わなくなった。…というか、追えなくなった。
 今年春から長男が中学生になり、次男は幼稚園に入った。毎月平均で片手はゆうに超える出費がかさむことになり、自分の多趣味のどれかを地味目にリセットする必要に迫られた。
 まず本だった。仕方なく、新刊本を追いかける読書スタイルにひとまず見切りをつけることにした。

 スタジアム通いを中断しているのは、春に手工のクラシックギターを手に入れたとき、何年かの間スタジアム通いを封印することが条件でカミさんに納得してもらったからだ。
 みっともない話だが、丁度身体ががきつくなって自由席のシーズンチケットを手放したばかりだったので、ボンビーなわが家の台所からそんな話が出るのは成り行きでもあった。

 今年は、マイクル・コナリーを再読したり、司馬遼太郎の文庫を読み漁ったり。数えたわけではないが、たぶん60作程度しか読んでいないと思う。
 「このミス」を見ても、既読はほんの数冊という読書だった。
 そんな読書で今年一番インパクトがあったのは、春に読んだオースン・スコット・カード『消えた少年たち』だった。
 発行から7年を経てやっと読むことができた。世の親たちは涙無しでは読めないであろう、紛れも無い傑作だった。

 この本については、それだけでネタばれになってしまいそうだから、○○のようなと例も挙げられない。
 底知れぬ衝撃と感動を与えられた。
 モルモン教徒の退屈な生活描写と鬱屈した心理描写から、一気に怒涛の結末に雪崩れ込む。時節柄たとえは悪いけど、津波に巻き込まれたか雪崩に巻き込まれたような感じだ。気が付いたときは既に遅い。

 ぼくは無宗教だ。普段から信心深い生活を送っているわけでもない。
 でも、結構霊感が強いのか何度も霊体を見たことがあるし、UFOに至っては数え切れないくらい目撃している。
 神の存在についても肯定的だ。
 この本に描かれたような奇跡も無条件で信じてしまう。
 フィクションに対して信じるとか信じないとか、これほど馬鹿げた言い方もないと思うが、読後そんな言葉を吐きたい衝動にかられてしまうほどの衝撃だった。

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2004.12.28

書評 『愚か者死すべし』 原りょう

愚か者死すべし愚か者死すべし
原 リョウ

早川書房 2004-11-25
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 帯に銘打たれた「新・沢崎シリーズ」の「新」にずっと引っかかっていた。
 読み終わって思ったのは、渡辺からの脱却というか卒業というか、を意味した「新」じゃないかということだった。錦織をはじめとしたシリーズのキャラが、間接的にしか登場しない。
 でも待てよ、と思ってしまう。それにしてはキャラが不足してないか。読了して一番最初に思ったのは、そんなことだった。

 「新」と銘打ってしまうには遅きに失した、というかいささか年を食いすぎているんじゃないかとも思ってしまうのだが、本書の饒舌で闊達な沢崎が妙に活き活き見えてしまうのもまた事実だ。
 同時に作者は、今後のシリーズ全体のトーンを変えようとしているようにも見える。
 全体を覆う雰囲気が随分と明るくなっているのだ。

 前シリーズの魅力だったのが作品全体を覆う、これぞハードボイルドという陰影の濃いトーンだった。そんな重厚な雰囲気の中で、寡黙で影のある沢崎が複雑な事件を解決する。
 ひとりひとりをみても、結構腹にこたえる登場人物が揃っていた。
 しかし、残念ながら本書の人物は底が浅くみえてしまう。ともすると、沢崎まで底が浅く見えてしまう瞬間があって困った。腹の据わった饒舌さは難しい。

 「新」と銘打つからには、前の3作は「旧」になるんだろう。「新」が「旧」より優れている理由はなんだろう。時代性だろうか。
 しかし、時代は移ろいやすい。
 原さんはもちろん社会性を備えた作家だから、ある程度の時代性は備えているのだが、もっと普遍的な何かを持った方でもあると思っている。
 「旧」シリーズには普遍的な何かがあった。

 せっかくの新シリーズにケチをつけるつもりはないけど、あの捨てがたい雰囲気が薄れてしまったのは残念だった。
 物語はそれなりに複雑でリーダビリティも高いと思うが、それで? と思ってしまう。
 「新」なのだから、新しい読者を求めているのだろうか。
 当初からの読者であるぼくが、進歩しない「旧」なのかもしれない。

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2004.12.14

書評 『魔術師(イリュージョニスト)』 J・ディーヴァー

魔術師 (イリュージョニスト)魔術師 (イリュージョニスト)
ジェフリー・ディーヴァー 池田 真紀子

文藝春秋 2004-10-13
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 正直なところ、巻末の法月綸太郎さんの解説を一読して、書評(感想)を書くのがバカバカしくなってしまった。これは解説じゃないよなぁ。熱が入りすぎている。
 ぼくが思ったこと感じたことが書いてあるのは当然のこと、思いもよらなかったことまで網羅された完璧な書評なのですよ。プロにこんな書評を書かれちゃ、ぼくらは出る幕がない。

  それでもめげずにちょっとだけ書いておこうかな……。

 リンカンーン・ライム=シリーズ第5作として上梓されたこの物語は、第1作『ボーン・コレクター』のおもしろさを思い出させてくれる、叡智を尽くして知で知をあらう物語だ。
 正直言えば、ぼくは、『ボーン・コレクター』で度肝を抜かれて以来、ライム・シリーズをおもしろく読んだためしがかった。どんでん返しにこだわるあまり、ストーリーの整合性なんておかまいなしに、郷原ばりの豪腕でストーリーをねじ伏せているように思えたからだ。

 こんな傾向はディーヴァーのどの作品にも当てはまるのだが、特にこのシリーズはそんな印象が強い。
 作者も大変だと思う。捻くれた読者はディーヴァーだからこれで終わらないだろう、どんでん返しがあるだろうという期待があって、作者も思いっきりその要求に応えようとするのだから。
 ディーヴァーが別ネームでしっとりしたハードボイルドを書くのもわかる気がする。

 ところが、この作品では違和感が薄い。
 なんてったって中心に据えられたのは、人間離れした天才的魔術師(イリュージョニスト)だ。
 この作品の魔術師とは、一般に言う「手品師」とは似て非なるもの。物語の中にプリンセス・テンコーが出てきて驚いちゃったけど、あんな人たちのことを指して言うようだ。

 つまり、はっきり言っちゃえば、「なんでもあり」なのだ。
 正直、物語の中に「それは無いだろう!!」と大声を上げたくなる種明かしが何度もあった。しかし、それを行うのは、天才的な「魔術師」である。これが大きなミソで、これだけ優秀なマジシャン(というか魔術師)なら、ありうるか…、と思わせてしまう点だ。
 こう思わせてしまえば作者の思う壺。既に作者の術中にはまっているということなのだな。作中にも出てくる「心理的誤導」というヤツだろう。
 あちこちにちりばめられた「誤導」の中でも、これが物語の根幹を成す最大の「誤導」なのかも知れない。

 まあ、騙されたと思って読んでみて欲しい。
 読み始めたら止まらない。
 心を平らかにして素直に読めば、これほど楽しめる本もめずらしい。

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2004.12.01

書評 『血に問えば』 イアン・ランキン

血に問えば血に問えば
イアン ランキン Ian Rankin 延原 泰子

早川書房 2004-10
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 ハードカバーじゃないか! しかもこの表紙は何? 急速に気持ちが萎えてしまう…。
 版権高騰か(ポケミスったって分厚いから大して値段は変わらないけど)、それとも一般ミステリ読者に訴求しようという戦略か。後者なら遅すぎたと思うが。
 ぼくは固定読者だからどうなろうが買って読むわけだが、リーバス警部にはポケミスが似合うよなんて、勝手な思い込みでもないと思うんだけどな。

 作品自体は相変わらずの高水準だ。
 毎夜亡霊とグラスを傾ける、孤独を愛するリーバスがこの年にして改めて”血に問えば”、見えてくるのが家族の遠い過去の記憶とつながり。
 リーバスだけでなく犯罪者も被害者もひっくるめて血に問うわけだが、最後に登場する病んだ現代のモンスターと対比してしまうと、どうもこじつけスパイスのようにも思えてくる。

 緊張を強いる文体がちょっと辛かったかな。ホーガンとリーバスの会話についていけなかったり。
 情けないぞと思いながらも、読み返さない自分に更に情けなくなったり。裏表紙で微笑む作者の顔を眺めて「どういう頭の構造してんだろうな」なんてことを考えたり。

 ミステリとしては十分におもしろいし、主人公リーバスも相変わらずで充分に読ませるのだが、すでにこのシリーズの興味は別のところへ行ってしまっているかもしれない。
 女リーバスことシボーンである。
 この作家は、女性を描くのが抜群にうまいのだ。芳しい女心を微妙に描く筆は天下一品かも。シボーンも謎だよな。ファーザーコンプレックスのようにも思えてくるが、しかし…。

 一時の気の迷いか勢いなんだろうが、最後に出てくるリーバスの激情が結構心地よかったりする。というか、ちょっと安心したというか。
 シリーズも数えて14作目だ。
 巻末で訳者の方も書かれているように、リーバスを引退させて、シボーンをヒロインにした物語もいいかもしれない。

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