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2004.11.20

いったいなんのために

 あちこちのブログを読んでいると、新潟県中越地震の被災地である小千谷市とか川口町周辺に行ってきたという方が結構いらっしゃる。
 近くに親戚でもいるのかと思うとそうでもない。
 じゃあボランティアか、と記事を読み進めても違うようだ。
 研究者? は、もっと論理的な文章を書くよな。

 行かずとも、縁もゆかりも無さそうな方が記事をたくさん書いていらっしゃる。
 ニュースサイトの転載とか、義援金を募る記事とか、純粋に大変だなぁとか…。
 耳目を集める自然災害だったからおかしな話でもないし、心配してもらえるのはホントにありがたい話なんだけど、釈然としない部分もある。

 特にココログの方は、ココログナビのトップに掲載されるんだよね。
 始めたばっかりで知らなかったぼくが、この前地震関連の記事を書いたら、アクセスが数倍になってびっくりしたことがあった。リンク元を見て納得したわけだが。

 今回の地震は対岸の火事ではないですよ。
 日本列島はどこでもこれくらいの地震が起きる可能性があるんだから、さ。

10月30日に書いて、別サイトに掲載した記事を下記に転載しました。

2004年10月30日(土) 大地震

 ぼくは新潟県小千谷市で生まれ育った。(注:現在は埼玉県在住)
 今でも、両親・弟妹・親戚が小千谷市とその周辺に大勢いる。

 10月23日午後6時ころ、ぼくたち家族はNHKでレッズ歓喜の勝利を見届けていた。昨春、家族旅行がてら参戦した思い出のカシマスタジアム。
 苦手と言っても、今年は瑞穂も克服しているので、カシマスタジアムでもやってくれると思っていた。涙がでるくらい嬉しかった。

 その時、大きく揺れた。かなり大きな地震だった。速報は早い。震源は新潟県中越地方で震度6強…。
 笛が鳴って歓喜に浸ることができたのはわずかな時間だった。間髪を入れず臨時ニュースに切り替わり、震源地を示す地図が表示される。驚いた。どう見ても小千谷市かその近くとしか思えない場所に大きく「X」がついているじゃないか。

 「震源地は新潟県小千谷市。マグニチュード6.8。震度6強」 腰が抜けるかと思った。

 即座に電話をとる。しかし、つながらない。
 テレビは各局特別番組に切り替わっていく。7時台、空気の読めないドラえもんのみが延々と流された。
 我が家では、カミさんが携帯を持って実家のじいさんや妹の携帯へ、ぼくは固定電話へリダイヤルし続けた。
 しかし、つながる気配がまったくない。その間も何度も大きな地震に見舞われる。全部小千谷方面と思うといてもたってもいられない。メールも打ってみる。でも、電話はつながらない。

 その後、断続的に12時ころまで電話をかけ続けた。
 実家の固定電話とじいさんの携帯には何度かつながった。固定電話に誰もでない理由は容易に想像できるが、どうしてじいさんは携帯に出ないんだ…。
 NHKの安否確認にもトライする。もちろん、あえなく惨敗。電話もつながらなきゃ、ネットもつながらない。

 疲れ果てた深夜1時10分。我が家の電話が鳴った。妹からだった。
 全員無事であるとのこと。
 ばあさんが飛んできたテレビにぶつかってかすり傷程度を負っていること。とりあえず、今はクルマの中にいること。川口町に居を構える弟一家も無事であること。夜が明けたら、思いつく限りの親戚に連絡を入れて欲しいこと。
 安心したが、ほとんど眠れなかった。朝を迎えて、思いつく限りの親戚に電話した。どこも、実家に電話をかけ続けていたそうだ。徹夜した人もいた。そりゃ、電話回線もパンクするよな。

 その後、弟とも連絡が取れた。
 弟の家は倒壊はしていないが、壁に大きなひび割れが何箇所もできているとのこと。
 水は近所の井戸から手に入れている、17号線を北上している最中に地震にあった、和南津トンネルが崩落して帰宅できずクルマを車寄せに停めて山を越えて帰宅した、子供たちは元気、どうも川口町は完全に孤立してしまっているようだ、とのこと。車載の携帯充電器をクルマに忘れてきてしまったと悔やんでいた。
 弟の地区は後に避難勧告が出され、弟一家は魚野川の河川敷に作られたテントに移った。
 26日ころから炊き出しが始まり、自衛隊が物資を運んでくるようになった。あのSOSが効いたんだろうか。
 弟と同じ川口町に住む叔母が火傷で入院しているとの情報も寄せられた。

 実家の地区も孤立していた。
 しかも、大きな建物がないので、集団での避難生活もままならない。何箇所にも分散して寝泊りする状態。
 じいさんが町内会長をやっているもんだから、自分の生活以外の苦労も多いようだ。(注:町内会長ではないそうです。農業関係=土地改良区の責任者だそうです。訂正するのもナンなので、ここに書き加えておきます)
 米はふんだんにある。それも魚沼産コシヒカリだ。それを湧き水を使って炊き出しを行い、瓦の落ちた屋根の修復など、手分けして復旧作業も始まっている。
 冷え込みが厳しいらしい。使い捨てカイロが欲しいと連絡があって、27日にカミさんが駆けずり回って物資を揃えて送った。
 親切なことに、軍手を買いに寄った「ワークショップ家康」が無料にしてくれた上に他にもいろいろおまけをくれた。ありがとうございます。
 郵便局は荷物を無料で引き受けてくれた。しかし、いつ届けられるか確約できないと言われた。現に3日経った今も届いていない。

 今日と明日、実家に行ってみようと思っていた。
 県警のサイトで被害状況を確認し、小千谷警察に通行止めの状況を確認した。
 ところが行ける状態じゃなかった。道路が復旧したといっても、完全復旧ではなくて片側通行がほとんどなので緊急車両で精一杯だそうだ。できれば来ないで欲しいと暗に言われた。
 確かにその通りだと思う。行っても自己満足か野次馬的欲求を満たすだけかもしれない。元気なのはわかっているから、姿をみなくても納得しなくちゃならないだろう。

 これから雪が降る。
 いつになったら余震が収まって復旧作業が本格化できるのか、いったい実家は住める状態なのか。住めない場合はどうしたらいいのか。
 現地の被災者は当然のこと、ぼくらだって考え始めたらきりがない。

 毎日、小千谷の総合体育館ばかりテレビに映る。
 いつか自分の実家地区が映らないかと、毎晩食い入るようにニュースを見ているが、未だに映らない。

 テレビ局よ。毎回同じ場所からの中継はやめてくれ。
 10/30現在、小千谷市内だけで130箇所の避難所に28,637人が避難生活を送っている。
 中継し易いところ、楽なところばかりを選ぶんじゃない。いろんな避難所を映してくれ。現場に行けない血縁者はそれを見れば安心するのだから。
 こういう状況のとき、報道にはそんな使命もあるんじゃないだろうか。

 追記:ゆうパックは今日午後1時ころ、新潟の実家に届いたそうだ。様々な業種の人たちが大勢やってきて、復旧に向けていろいろ取り組んでくれているらしい。ありがたいことだ。

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コメント

旅歌さん こんにちは
私も先日、仕事で新潟市内に。延び延びになっていて、まだ怖くて行きたくなかったのですが、やはり向こうのほうもいつまでも震災に引っ張られて延ばしたくなかったようで。
帰りの関越道は凸凹で、普通なら行政的に通さないはずなのに
よほどアクセスの問題があるんだな、と。

で、メモにも新潟に行ってきたと書きました。
多分、旅歌さんのお悩みの件、話題性があるんで、別件で行ってきたかたも、一言「行ってきた」と書きたいんじゃないかと。
それがなんだ!と言えば、それだけの話かと。

投稿: 聖月 | 2004.11.20 21:12

 悩んではいないですよ。
 他意はありません。

投稿: 旅歌 | 2004.11.21 08:03

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