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2004.12.28

書評 『愚か者死すべし』 原りょう

愚か者死すべし愚か者死すべし
原 リョウ

早川書房 2004-11-25
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 帯に銘打たれた「新・沢崎シリーズ」の「新」にずっと引っかかっていた。
 読み終わって思ったのは、渡辺からの脱却というか卒業というか、を意味した「新」じゃないかということだった。錦織をはじめとしたシリーズのキャラが、間接的にしか登場しない。
 でも待てよ、と思ってしまう。それにしてはキャラが不足してないか。読了して一番最初に思ったのは、そんなことだった。

 「新」と銘打ってしまうには遅きに失した、というかいささか年を食いすぎているんじゃないかとも思ってしまうのだが、本書の饒舌で闊達な沢崎が妙に活き活き見えてしまうのもまた事実だ。
 同時に作者は、今後のシリーズ全体のトーンを変えようとしているようにも見える。
 全体を覆う雰囲気が随分と明るくなっているのだ。

 前シリーズの魅力だったのが作品全体を覆う、これぞハードボイルドという陰影の濃いトーンだった。そんな重厚な雰囲気の中で、寡黙で影のある沢崎が複雑な事件を解決する。
 ひとりひとりをみても、結構腹にこたえる登場人物が揃っていた。
 しかし、残念ながら本書の人物は底が浅くみえてしまう。ともすると、沢崎まで底が浅く見えてしまう瞬間があって困った。腹の据わった饒舌さは難しい。

 「新」と銘打つからには、前の3作は「旧」になるんだろう。「新」が「旧」より優れている理由はなんだろう。時代性だろうか。
 しかし、時代は移ろいやすい。
 原さんはもちろん社会性を備えた作家だから、ある程度の時代性は備えているのだが、もっと普遍的な何かを持った方でもあると思っている。
 「旧」シリーズには普遍的な何かがあった。

 せっかくの新シリーズにケチをつけるつもりはないけど、あの捨てがたい雰囲気が薄れてしまったのは残念だった。
 物語はそれなりに複雑でリーダビリティも高いと思うが、それで? と思ってしまう。
 「新」なのだから、新しい読者を求めているのだろうか。
 当初からの読者であるぼくが、進歩しない「旧」なのかもしれない。

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