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2007.07.27

映画評 『菊次郎の夏』

B00005EDS4菊次郎の夏
ビートたけし 関口雄介 岸本加世子
バンダイビジュアル 2000-01-25

by G-Tools

 敬愛してやまない、とリアルでもネットでも公言しておきながら、いままで未見だった映画監督北野武の作品。ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞した『HANA-BI』の翌年、1999年に公開された監督第7作である。

 いろいろと背景があって、予備知識満載で観た。北野監督独特の色使いや、凄惨な暴力描写はなりを潜め、父と子(映画では擬似父子)の愛情を淡々と描いている。だが、やっぱりストーリィ性は乏しい。この人の作品は、どれも書き下ろしで、監督本人が脚本を書いている。だから、というわけではないだろうが、ストーリィで客を引っ張る監督ではない。

 では、何で観客を惹き付けるかというと、映像美であるとか、説明を一切省いた唐突な演出であるとか、過激な暴力であるとか、一瞬一瞬のシーンのおもしろさであるとか。相当な演出力はあるが、観客におもねることはしない。撮りたいモノを好きなように撮るという監督本来の仕事を自由にできている、とても恵まれた監督という印象がある。

 この作品は、菊次郎と正男少年を、自らの親子関係に準え、自分の気持ちに区切りをつけた映画なのだそうだ。多分に、私小説的。映画としての出来はそんなに高いようには思えない。だが、最初は正男少年のことを疎ましく思っていた菊次郎が、徐々に自分の少年時代と重ね合わせ、正男が愛しくなってくるのが、とてもよくわかる。心温まる。

 少年北野武は、父親の愛情に飢えていたのだね。こんなふうに父親に遊んでもらいたかったのだね。菊次郎と正男少年は、両方とも監督自身の投影である。双方の思いが胸に迫ってきた。こう考えてくると、監督自身の希望を映像で実現したという、とても人に見せるための映画じゃない。これじゃ、興行的な成功など望むべくもない。

 正直申し上げて、こんな映画を、監督の希望だけで撮らせてしまうプロデューサーがすごい。しかし、それも映画監督北野武だからできる芸当なのだろう。ぼくらとしては、『ソナチネ』や『HANA-BI』のような北野映画を観たいのだが、映画制作の現場で常にあんな緊張を保つことはできないんだろう。そんな映画だった。

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