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2007.07.01

映画評 『武士の一分』

武士の一分武士の一分
山田洋次 藤沢周平 平松恵美子

松竹 2007-06-01
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 監督の山田洋次については、どうしても捨てられない先入観があった。若いころの作品で、辟易した記憶がどうしても薄れない。だから、本当に久しぶりに観た山田洋次監督作品だ。Wikipediaで確認したところ、1980年の『遥かなる山の呼び声』以来のようだ。

 この人の映画は、出演者に負うところが大きくて、監督の技量で見せる映画を作るという意識にとても欠けているように思っていた。ストーリィに起伏が乏しくて、あまりにオーソドックスで、時に教条的になる。若干思想的な隔たりもあって、ぼくとは絶対に肌が合わない監督、という認識で、名作との誉れ高い『たそがれ清兵衛』も観ていない。

 その上、主演の木村拓哉には、もっと頑迷な先入観があった。彼の役柄はどれもほとんど同じような印象しかない。だから、評判の良かった『華麗なる一族』も一度も観ていない。軽めだけど優秀なアウトロー的な役柄ばっかりで、独特の台詞回しも、悪い癖としか思えなかった。

 しかし、結論から言うと、木村拓哉はこの映画で完全に脱皮したようですね。評判の良かった『華麗なる一族』もこの映画で鍛えられた演技力があればこそだったのだろう。本当に堂々たる演技者ぶりだった。剣道の経験があるそうで、殺陣も見事だった。

 演技者を見るとき、かならず注目するのが、眼の力とそこを中心とした表情だ。今回の木村の場合、前半の単なるハンサムボーイから、失明して消沈しているときのギャップと、鬼気迫る表情がすばらしかった。そして、一皮向けたラストまでの落ち着いた大人の表情と演技。すばらしかったと思う。

 山田洋次は、いつもながら地味でオーソドックスな演出ぶりだ。この人の視線の低さがとてもよく機能している。しかも、かなり細かい時代考証やディテールに拘りが感じられて、圧倒的なリアリティだった。それらが押し付けがましくなく、自然に演出されていた。この作品は、アレルギーなく観ることができた。

 木村拓哉の裃のヨレヨリぶりがリアルだったり、食事の最後に茶碗に湯を注いで飲み干してそのまま仕舞ったり、江戸時代のアイロンに関心したり、叔母の桃井かおりが三村の家にあがる時に草履を脱いだ足の裏の埃を女中に掃わせたり、家族会議の席での妻役檀れいの着物の衿が汗で変色していて妙に色っぽかったり、細かい点を上げればキリがないが、新鮮だった。常に目線の低い監督なればこその拘りなのでしょう。

 山田洋次の作品らしく、大きなストーリィのうねりもなく、淡々とした物語だった。でも、往年の臭みがなくなって、かなり楽しむことができた、かな。笑いのツボもしっかり押さえていましたね。職人芸だった。
 ぽすれんで、『たそがれ清兵衛』注文しちゃいました。

 追記:この手の方にこんなことを言われている。山田洋次も変わったものです(^-^;
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