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2007年8月の16件の記事

2007.08.31

Amazonの「マイストア」が使えない理由

 今年は春先から、新書を中心にしたノンフィクションばかり読んできた。フィクションは、先日書評を書いた『楽園 上・下』『一瞬の風になれ 1~3』程度しか読んでいない。さすがに、これだけ立て続けにノンフィクションを読むと、フィクションが読みたくなってくる。かっこいいハードボイルド小説が読みたくなってくるのだ。

 しかし、遠ざかっていて何を読んだらいいかわからない。某所で読み逃している『犯人に告ぐ』が文庫化されたと聞いたので、あわててAmazonに行ってみたら9月中旬発売だった。マーケットプレイスで運良く安い古本が買えたので良かったが、それしか見つからない。コナリーの『The Closers』が『終決者たち』というタイトルで出るらしいが、これも9月だ。

 そういえば、と思い出したのが、Amazonの「マイストア」。過去には何冊かおもしろい本を見つけたことがあった。しかし、期待は見事に裏切られた。150位まで見ても、ほとんどがノンフィクションじゃないか。敏感過ぎだよ。冒険小説&ハードボイルド系の膨大なデータを突っ込んであるはずなのに、数ヶ月のクリック&購入実績だけで、ここまで変えてしまうのか。

 結局、数年に渡るデータの蓄積はほとんど無意味だったことになる。最近のデータを重視しすぎだろう。がっかりしてしまった。Web2.0の旗手などともてはやされるAmazonでも、所詮この程度なのか。それとも、ぼくがやり方を知らないだけで、もっと活用する方法があるのでしょうか。

 ネット上で、「本屋でぶらり」が楽しめるサイトがあったら、ぼくは飛びついちゃうんだけどな。たとえば、注目している作家の名前を登録しておくと、その作家の近作数冊と「この商品を買った人はこんな商品も買っています」「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」リストを一覧できるとか。ここで「なか見検索」が出来たら完璧。サイト側の主観で分類したリストにはまったく意味が無いのです。早く気づいて欲しいな。

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2007.08.29

書評 『いつまでもデブと思うなよ』 岡田斗司夫

こちらの記事は、「実践 レコーディング・ダイエット」とダブっています。

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

新潮社 2007-08-16
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 本書は、オタキング岡田斗司夫が1年と数ヶ月かけて、117kgから67kgまでダイエットした体験をまとめたダイエット指南書である。岡田が行ったダイエット方法が、自ら名づけた「レコーディング・ダイエット」。毎日の食事をレコーディング(記録)することが基本であることから命名された。

 毎日口にした飲食品とその時刻のメモをとる。メモを取って自分の食生活にうんざりしたら、今度はそのカロリーを計算して書き込む。これを毎日続ける。そんな面倒なことは絶対にできない、と思った方、2~3日程度だったらできるでしょう? カロリー計算は第二段階なので、口にしたモノを記録するだけでも試しにやってみるといい。いろいろなことがわかってくるから。

 岡田によれば、デブは努力しないと維持できない。デブを維持している以上は、太るための努力をどこかでしているはず。これを探るのがレコーディングなわけだ。すくなくとも自分は太っていると自覚のある方は、3日も記録をとると愕然とするはずだ。カロリー計算をすると更に愕然とする。

 第三段階として、一日の摂取カロリーを1500kcal程度に保つようにするわけだが、ほかのダイエット法と違って、「レコーディング」された事実という動機付けがキチンとできているから、とても入りやすい。これだけでなく、「レコーディング・ダイエット」はもっともっと奥が深い。それと、ダイエットを成功させるためのノウハウと本人の体験談が満載で、とても心強い。

 ぼくは3回読んだ。このダイエット法はいい。ともかく、身に覚えのある方は是非読んで実践してみて欲しい。言ってみれば「オタクによるオタクのためのダイエット法」だろうか。ちょっとググって見ると、確かにブログなどで自分の食事を公開してダイエットしている人は多い。以前書いたが、ぼくも1998年に初めてサイトを公開したときの日記が「減量日記」だった。

 こうして、人生4回目のダイエットに突入している。レコーディングして6日目だが、すでに体重は2.6kg落ちて、体脂肪率が1.5%減った。ぼくの場合、準備が出来ていたので岡田の言う「助走」を飛ばして、いきなり「離陸」段階のカロリー計算からはじめた。実はこれも2日程度で、すぐに1日1500kcalの食事構成を想像できて、1500kcalに抑える「上昇」段階に入った。

 そうなのだ。岡田は自身のダイエット体験から、「レコーディング・ダイエット」を見事に体系化して再構築している。ダイエットの段階的進行具合を「助走」「離陸」「上昇」「巡航」「再加速」「軌道到達」と名づけた。詳しくはネタバレになるので、これ以上は書けない。リバウンドの危険性まで考慮され、自堕落なデブの心理に深く踏み込み、更に時代までも反映した、実に考えられたダイエット法だ

 岡田の言うように、いまの世の中は本当にダイエットしやすいように配慮されている。ぼくも買い物に行くたびに、コンビニやスーパーで食品のカロリー表示を眺めている。中には書いてないものもたまにあるが、大抵のものにはカロリーが表示されている。気がつかなかった。意外なものが高カロリーでびっくりする。

 ここから先が実にオタクっぽいのだが、いつまでも陳列棚から離れないので、カミさんに呆れられてしまった。おもしろいのだ。自分の好みに合わせて、1日の食事構成を考えることがすごくおもしろい。これを岡田は「パズル」と言った。まさに言いえて妙だ。一度などは、1時間近くスーパーに留まって棚を見て回った。低カロリーでおいしそうなものもいくつか見つけることができた。

 このような、ダイエットにカロリー計算を用いる方法は昔からあったダイエットの王道だ。しかし、成分表などから行うカロリー計算が面倒で、なかなか実践できなかったのだ。だから、スーパーのお惣菜やコンビニ食品を主食としている人には、実際とてもカロリー計算がしやすい環境が整っている。つまり、岡田も本書で書いているように、単身者向けのダイエット法と言える。

 困ってしまったのは、家庭料理のカロリー計算だ。本来ならば、食品ひとつひとつを積み重ねて計算しなければならないのでとても煩雑だ。これについてはチラっと触れただけで、具体的にレクチャーしてくれていない。もちろん、ググれば大概のことはわかるのだが、いまのところかなり面倒な思いをしている。いまは、ググりながら、ひとつひとつの料理について、近似値を出す努力をしている。いずれ慣れてくると思う。

 もうひとつ。リバウンドについての考え方に疑問を持った。「絶対リバウンドしない」と豪語しているが、軽々しくそんなことを言っていいのかな? 岡田自身も2度ダイエットをしたことがあって、2度ともリバウンドをして失敗したそうだ。ぼくも過去3回経験があるが、どれもリバウンドしている。

 うまいこと岡田の言う「軌道到達」を果たして、食べ物の嗜好が変わり、「欲望」と「欲求」の区別がつくようになって、その通りに生活すればリバウンドはしないだろう。しかし、それはあくまでも「理想」であって、岡田の「現実」ではない。岡田の実践するダイエット法は生活様式や人生のあり方まで含めた深いものだ。

 大げさな言い方になるかもしれないが、岡田の身体の欲求その他に対する思考方法は思想・哲学にも通じるものがある。あるいはカルト。だからうさんくさい? いえいえ、是非、自然体で成功したままの生活を続けて欲しい。これだけのことを書いたのだから、絶対にリバウンドは許されないよ。注視したい。

 ここまで読んで、なんだ簡単じゃないか明日からやってみよう、と思った方。たぶん失敗しますよ。ネタバレになるので、書けなかった部分に本書の真骨頂があるのです。デブの心の動き、乗り越えなければいけないダイエットの壁、真の食欲についての考察など、非常に細やかな思索による配慮がなされていて、実践者を後押ししてくれます。是非一読を。

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 最後に、ダイエットの友、体重と体脂肪率を同時に測ることができる体重計を紹介しておく。電気店で見ると、こういうタイプの体重計は軽く10,000円くらいする。でも、そんなに高額なのは必要ないですよ。これで充分です。ぼくは同じものを楽天で買ったけど、Amazonで見たら楽天より安かった…orz。体重を100g単位で、体脂肪率を0.1%単位で測ることができる。データは6人まで登録可能。優れものです。

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2007.08.28

やっと出る 『ケツノポリス5』

ケツノポリス5


 次は赤だ!

 前作『ケツノポリス4』が発売されたのが2005年6月29日だった。この2年の間に、『さくら』の大ヒットもあり、一気にメジャーなアーチストにのし上がった。世間では、というかヒップホップファンの間では、社会性に乏しい詩の内容や、耳あたりの良すぎる音作りに批判も多く、あまり歓迎されていないらしいが。

 確かにヒップホップというジャンルで見れば、一理あるとは思う。『ケツノポリス2』以降は、あざとい売れ線狙いと言われても、まあしょうがないでしょう。何かに掲載されているRYOのインタビューを読んだことがあるんだけど、良い意味で開き直っているのが印象的だった。ぼくとしては、メジャーデビューした以上は、売れてナンボ、と思うんだけど。それが、「売れ線狙い」と微妙に齟齬があるのは承知の上ですが。

 だから、ヒップホップとして聴いてはいけないのだ。レゲエをベースにした多様なポップミュージックの中に、ラップを挟み込んだ音楽。その程度の認識でよろしいでしょう。聞き手を意識して音楽を作るのは当然で、それが彼らの場合、耳あたりの良いポップな音楽として結実している。右の耳から左の耳に抜けていくのも事実だが、抜けていく間にとても良い気分にさせてもらえる。ぼくはそれで充分だ。

 ともかく、前作から待つこと2年。やっと明日(8月29日)、『ケツノポリス5』が発売される。『さくら』大ヒットの功罪か本人たちの志向の問題か、はたまたよりポップなメロディーに固執したのか、スランプに陥っていた時期もあったように思う。しかも、『ケツノポリス4』がアルバムチャート1位に輝いてしまった。新作へのプレッシャーは相当なものだったでしょう。「ケツメは終わった」なんて言う人がいるけど、まだまだ始まったばかりだぜ。

1-1(4:59) スタート
作詞:ケツメイシ/作詞:和田剛/作詞:坪井雄/作曲:ケツメイシ/作曲:和田剛/作曲:坪井雄/編曲:ケツメイシ/編曲:YANAGIMAN
1-2(5:39) また君に会える
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:NAOKI-T
1-3(4:20) 歌謡い
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:NAOKI-T
1-4(6:46) 男女6人夏物語
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:YANAGIMAN
1-5(5:57) サマーデイズ
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:YANAGIMAN
1-6(4:32) ケツメイシ工場
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:YANAGIMAN
1-7(4:58) 恋の終わりは意外と静かに
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:YANAGIMAN
1-8(4:33) ハッピーバースデー
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:NAOKI-T
1-9(4:45) 夢の中
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:NAOKI-T
1-10(5:25) トレイン
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:NAOKI-T
1-11(3:53) VS
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:NAOKI-T
1-12(6:06) ライフ イズ ビューティフル
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:NAOKI-T
1-13(6:31) 旅人
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:YANAGIMAN
1-14(4:17) 君色
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:YANAGIMAN
1-15(5:28) さよならまたね
作詞:ケツメイシ/作曲:ケツメイシ/編曲:ケツメイシ/編曲:YANAGIMAN<
(JBOOKより)

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2007.08.27

ドラマ評 『ハケンの品格』 篠原涼子

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篠原涼子.加藤あい.小泉孝太郎.大泉洋

バップ 2007-06-27
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 噂どおり、楽しく見ることができた。連続テレビドラマをオンエアで観る余裕は無いので、DVDでまとめてみることになる。オンラインDVDレンタルという強い見方があるから、こんなスタイルも可能なわけだ。中年おぢが、この手の連続ドラマを楽しみに見ているという図が、なんともわびしくて気味が悪いのは置いておくとして。

 篠原涼子演じるスーパー派遣社員・大前春子のキャラを思いついた時点で、このドラマの半分以上は出来上がったようなものでしょう。現代社会を映し出した上、ターゲットとなる視聴者に共感を呼びそうな出色のキャラだった。しかし、途中で大前春子のキャラがあいまいになってくるのが、ちょっとばかり残念。

 それなら、『女王の教室』の「阿久津真矢」のように徹し切るべきだったかと言われればどうだろう。キャラに隠された秘密が暴露されるに従ってキャラがあいまいになる。確信犯なのでしょう。暴露されるごとに大前春子の人間的な魅力が増幅されていく。常套手段。アンビバレンツな危うい稜線に立ったヒロインの危うさ。最後の方は痛いとしか見えなかったが。
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 なんといっても、篠原涼子である。制作側の意図に応える熱演だった。Wikipediaによれば、ご本人はかなりの"天然"だそうだが、このドラマのヒロイン大前春子みたいなデフォルメのきつい役を、モロなコメディタッチに陥らず微妙な線で演じていたと思う。

 ぼくにとっては、篠原涼子といえば『アンフェア』だった。『ハケンの品格』の大前春子と『アンフェア』の雪平夏見。一見まったく違うように見えるが、奥深いところでは共通点がある。言葉は悪いが「やせ我慢」をキーワードとすれば、つながってくるのだ。

 普段は連続ドラマのコメディなど見ない。しかし、『アンフェア』の大ファンであるぼくならと、すすめてくれる人がいて『ハケンの品格』を見た。確かにおもしろかった。どこに惹かれるんだろうと思ったらヒロインのキャラだった。「やせ我慢」は、ぼくの愛する「ハードボイルド」につながる。ヒロインの心根の奥底でつながる共通点。こう書くと、なんだから安っぽく見えてくるから困ったものだが。

 派遣社員が自らの「資格」を武器に、社員の窮地を救い出す痛快さ。まるで水戸黄門の印籠のようだった。このドラマにはヒットする要素がふんだんに盛り込まれている。まあ、つまり緻密なマーケティングとターゲティングによって生み出されたドラマなのだった。

 最終回が残念。もっと練り上げれば、進化した大前春子像ができあがっただろうに。露骨に2時間ドラマ程度の続編を作れる下地を残すあざとさ、でありました。大前春子が最後に大泉洋演じる東海林主任に吐くセリフに萌えるか萌えないか。最近の若い男はマグロなMが多いそうなので、萌えるのかな。

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2007.08.24

書評 『ひとは情熱がなければ生きていけない(勇気凜凜ルリの色)』 浅田次郎

ひとは情熱がなければ生きていけない(勇気凜凜ルリの色) (講談社文庫)ひとは情熱がなければ生きていけない(勇気凜凜ルリの色) (講談社文庫)

講談社 2007-04-13
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 本書を一読して、ある種の寂寥感に襲われた。そしてのち、とても悲しくなった。ぼくが浅田次郎=洒脱な名文家とのイメージを持ったのが、一連の『勇気凛凛ルリの色 』シリーズのエッセイだった。破天荒なエネルギーに溢れ、ユーモアに溢れ、ときに涙を誘う、すばらしい連載エッセイだった。

 『鉄道員(ぽっぽや) 』で直木賞を獲ったあとでも、浅田次郎は小説よりもエッセイの方がおもしろいと書いたことさえある。そのくらい浅田次郎のエッセイはおもしろかった。おもしろくてほろ苦かった。人生の機微を行間で表現した軽妙洒脱な文章は、他の追随を許さなかった。しかし、そんなイメージは本書を一読して間もなく、ガラガラと音を立てて崩れ去った。

 人は誰でも変わる。誰しもに立場がある。天下の直木賞作家で、いまや直木賞の選考委員を務めるまでになった作家に、週刊現代連載当時のエッセイを期待したぼくが間違っているんだろう。ならば、作家のエッセイでは右に出るもののない「勇気凛凛ルリの色」の名前を冠して欲しくなかった。

 週刊現代で、「勇気凛凛ルリの色」の連載がはじまったのは、1994年秋だった。当時は『プリズンホテル・秋』が出たばかりで、まだ海のものとも山のものともつかない新人作家だった。しかし、すでに『蒼穹の昴』の原型とも言われる『日輪の遺産』を発表しており、劇的におもしろいと評判だった『プリズンホテル・シリーズ』や、最近映画化もされた『地下鉄(メトロ)に乗って』と合わせて、一部の本好きの間では評判になっていた。

 一読でファンになったぼくは「勇気凛々ルリの色」を読むために、毎週のように週刊現代を買い続けた。連載が続いた4年間は、こんなおもしろい文章を書く作家がいるぞ、と機会あるごとに本好きの知り合いにすすめて回った。期待を一身に受けた浅田次郎は、この連載の間に『鉄道員(ぽっぽや) 』で直木賞を受賞するという快挙を成し遂げてしまう。ご本人もエッセイで書いておられるように、本当に稀有な出来事だった。

 直木賞受賞は、ぼくにとっても思い出深い出来事だ。ぼくが見つけた作家ではないのに、あの頃は自分が発見したような錯覚に陥っていたのだ。知り合いに紹介し続けた無名の作家が、あれよあれよとブレイクして直木賞まで受賞してしまう。こんなことは滅多にあることじゃない。ぼくはぼくで、知り合いに本読みとしての選球眼の確かさをアピールする結果となった。

 受賞前年の1997年1996年に『蒼穹の昴』で初めて直木賞にノミネートされたとき、絶対に受賞する、とぼくは周囲に公言していた。しかし、残念ながら受賞はならなかった。直後のエッセイは涙なしでは読めない。同じように、受賞直後のエッセイもまた涙なしでは読めない。こうして、ご本人と一緒に泣き笑い、時間を共有したような錯覚を起こさせる、そんな連載だった。それだけに浅田次郎には思い入れが深い。心に残っているエッセイがいくつもある。

 本書に収められているのは、あちこちの雑誌に書かれたエッセイを寄せ集めたものだ。中には講演を書き起こしたものまである。だから、統一感がない。同じような話が何度も何度も出てくる。必死に統一感を持たせようと編集しているが、残念ながら徒労に終わった。こういったところは作者のせいじゃない。すべては、恥ずかしげもなくスケベ根性を丸出しにした出版社の責任だ。

 最も腹立たしいのは、浅田次郎渾身の三島由紀夫論を詰め込んでしまっていることだ。おかげで後半に見られる若干軽妙な文章と、全然バランスがとれなくなっている。鍋料理じゃないんだから、何でも詰めこみゃいいってもんじゃないでしょう。文学論や作家論などの、硬めの文章で一冊上梓できるくらい貯まるまで待つべきだった。それとも、浅田さんはもうこの手の文章を書くつもりがないのか。

 そのほかのエッセイはあまりパッとしない。もちろん、見事な文章もあるのだが、週刊現代で書き尽くしてしまったかのように、過去に語られた文章の繰り返しがほとんどである。成功を収めたあと、すべてが順調に推移しているときの単発なエッセイだから、密度薄く緊張感に乏しいのもいたしかたないとは思う。しかし、問題意識の欠片もないのは、それこそ問題じゃないか?

 繰り返しになるが、週刊現代に連載当時のエッセイを期待したぼくが間違っている。でも、作家の目を通せば日常に波乱万丈があるでしょう? 含蓄の深い出来事はあるでしょう? エッセイの名手浅田次郎が、ごく普通の書き手のようにふるまっている文章を読むのが、一番つらい。どこか上から目線で、渇望感も、エネルギーも、哀切も、ユーモアも、覚悟も、何もかもが枯れてしまったようにふるまう文章は読みたくない。

 敬愛する作家浅田次郎にあんまりな書き方だが、そう思ってしまったんだからしかたがない。本書は稀有なエッセイ集「勇気凛凛ルリの色」を読んで泣き笑いした方々には、絶対にオススメしない。浅はかな編集者にはこう言いたい。「タイトル」をもっと大切にするべきだ、と。

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2007.08.23

Google マップが貼り付けられるようになった

 すでにGIGAZINEあたりで紹介されているけど、Google マップがブログやホームページに簡単に貼り付けられるようになった。

 目的の地図を表示すると、地図の右上に「このページのリンク」という文字が並んでいる。これをクリックすると直下に窓が開く。この窓に従来からあった「このリンクをメールに貼り付けて地図を共有できます」リンクの下に、「HTML を貼り付けてサイトに地図を埋め込みます」リンクが追加されている。HTMLをコピペすれば出来上がり。
 

拡大地図を表示

 更に、「埋め込み地図のカスタマイズとプレビュー」をクリックすれば、別枠が開いて地図の大きさ等を自由に変更できる。考えてみれば、いままでなかったのが不思議なくらいの機能。APIを書き換える面倒がなくなったのでとっても便利になった。公園のサイト、全部変更しようかな。

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2007.08.21

詐欺的「われわれ」の使い道

 一人称複数形の主語を使って語る人間は、多くの場合、あんまりアタマを使っていない。

 敬愛する浦和系コラムニスト小田嶋隆さんのブログにあった。けだし名言である。即座に連想したのが、ジャーナリスト佐々木俊尚さんのこの記事だ。

 新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか

 いまや<われわれ>の統一性は社会から失われてしまっていて、どこにも存在しない<われわれ>を主語にして記事を書くこと自体が、不可能になってきている。そのような状況の中では、新聞は<われわれ>に仮託して記事を書くのではなく、(1)自分自身がどのような立場でどう思っているのかという立ち位置によって記事を書くこと、(2)そしてその立場で記事を書けば、当然、意見の異なる他者が出現して自分自身が批判されうること、を前提としなければならなくなってくるように思う。

 小田嶋さんの文脈とは若干意味合いが違うが、「われわれ」の後ろに多数の影が連なっているという安心感は同じと思う。こういったマスコミが使う詐欺的なレトリックは、もちろん新聞だけでない。新聞以上に罪深いのはテレビだ。ドーランを塗りたくって額のテカリひとつない古舘伊知郎が、筑紫哲也が、鳥越俊太郎が、木村太郎が、みんな「われわれ」と称して意見を述べている。

 小田嶋さんの一人称複数形より性質が悪いのは、彼らはその「われわれ」の先頭に立っていると確信していることなのだ。見る人が見れば、勘違いか自己欺瞞としか見えないのに、だ。しかし、そういった「われわれ」を連発する人たちに共感する人が、厳然と存在していることの方が問題かもしれない。

 だから、久米宏みたいに「われわれ」のあとに「庶民」をつけて連発していた人が大衆の信頼を得てしまう。主婦仕事なんてしたことが無い(と思われる)田中真紀子みたいな人が、「主婦代表」などと言うと大ウケしてしまう。バカにした話だが、そういうことなんだろう。久米宏と田中真紀子と徒党を組んだと錯覚させるレトリック。汚いわ。

 それでも、まあ、確かに「われわれ」を主語にすると気持ちが良い。急に視界が開けたような気分になる。ぼくの場合も、小田嶋さん的文脈でほんの一時間半程度スタジアム限定、しかも末席だけど。
 そういうわけで、We are REDS.

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2007.08.20

書評 『楽園』 宮部みゆき

楽園 上 (1)楽園 上 (1)
宮部 みゆき

文藝春秋 2007-08
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 新刊本を追いかける読書からはとっくのとうに足を洗ったつもりだが、本書は発作的に購入してしまった。帯の惹引句が目に入った瞬間、まったくの「パブロフの犬」状態で、本書を手にレジの前に立っている自分がいた。引き返せない。「「模倣犯」から9年-前畑滋子 再び事件の渦中に!」ですよ。文春の勝利ですね。

 しかし、正直に言わせてもらえば、期待ほどの作品ではなかった。もちろん、宮部の作品だからある水準はクリアしているけど、残念ながら思っていたほど感動させてはもらえなかった。『模倣犯』もそうだったが、前半は期待させてくれる。しかし、後半になって、物語が大きく動き始めると、途端に苦しくなってしまう。

 前半部の木目の細かさは、さすが宮部だ。『模倣犯』 の事件を本としてまとめることができず、それどころか本来の「書く」という仕事すら出来なくなった前畑滋子が、ふとしたことでライターとして復帰する。ハードボイルド風に言い換えてみれば、本書は前畑滋子の「過去の清算」物語とも言える。

 しかし、これは作者の宮部自身にも当てはまることではなかったか。世間的に耳目を集めた『模倣犯』以来、なかなか現代を舞台にした小説を書いてくれなかった。お茶を濁したと言っては大いに失礼だが、時代小説やファンタジーなどは、『模倣犯』を読んだ読者にとっては、宮部作品として満足できるものではなかった。『模倣犯』を読んでしまったのだから、仕方ないでしょう。

 また、『模倣犯』は宮部の作風から見ても、大きなターニングポイントだったように思う。以後、宮部が描くミステリはテーマが変わった。『名もなき毒』(宮部にしては珍しい正統派探偵小説)もそうだったが、犯罪そのものよりも、加害者・被害者とその家族などの周囲の人々を描くようになった。小説家宮部みゆきが獲得した真の社会性だと思う。

 作者が得た社会性を帯びたオリジナルなテーマを、その契機となった『模倣犯』の重要登場人物で昇華、あるいは確認してみる。本書はそんな作業のように思えた。それなら多くの現代小説は書けない。「あらかじめ失われた楽園」を見い出すための代償を支払ったのは、宮部自身だった。そこに「楽園」があるかどうかは、今後の仕事にかかってくる。

 木目の細かさは、超能力者萩谷等の母親(萩谷敏子)に向けた「おばさん描写」とその家族たちの描写にもいかんなく発揮されている。しかし、このご託宣を述べる老婆を中心にした家族に向ける前畑滋子の洞察が、宮部の描写だけでは性急のように思える。どうもにも浅い。滋子の鋭さというよりも、予定不調和の浅さと言ってもいいような不健全さ。

 こうした前半部から、後半に入って物語は急展開する。しかし、解決部を、滋子が土井崎向子宛に送った手紙で過去語りをさせてしまった。読者の興奮を鎮めさせることなく、結末を土井崎向子に伝えるべく送られた手紙。この手紙が最も不自然だった。この手紙が更に読者に向けて謎を解明させる契機となるから、どう物語を構築するか捻って捻った末の処置のような気がする。

 これだけでなく、土井崎向子の登場のさせ方や別視点の物語挿入など、構成上いろいろと工夫を凝らしている。しかし、土井崎向子のドラマチックな登場のさせ方と人物造型や、ラストの意外性はあるが妙に宮部らしい展開は良いとしても、別視点での物語挿入は必要ないように思ってしまった。

 ここまで凝らなくても、作者の「土井崎茜はひとりじゃない」というメッセージは伝わってくるのだ。ここまで語られると、逆の効果を強く感じてしまう。どうにもしつこくコジツケに思えてしまうから困ってしまう。相変わらずの語りすぎ。特に、土井崎向子に向けて滋子が発した「茜を見た」は演出&レトリック過剰でしょう。

 本書のひとつのテーマは「超能力」だ。しかし、宮部お得意の「超能力」ジュブナイル風物語の範疇には入らないかもしれない。なんせ、サイコメトラーの小学6年生は既に亡くなっているから。その亡くなった少年の描いた「絵」が、少年が超能力者だったと主張している。母親の依頼で、前畑滋子はこれを証明しようと動くわけだ。このあたりの着想はとても良い。

 残念なのは、両親に殺されて埋められた茜の妹-土井崎誠子が描ききれていないように見えることだ。茜を除けば最大の被害者である彼女に、なぜか宮部の筆は冷たい。悩むだけでは、前に進まないのはわかるが、萩谷敏子や土井崎夫婦に送る視線と比べて、誠子に送る視線があまりに冷たすぎた。

 滋子自身が「模倣犯」事件を克服するのに相当な時間を要しているのに、被害者と加害者の家族である土井崎誠子に対してなぜこんなにも冷たいのか理解に苦しむ。なぜ、作者は滋子に誠子をそんな目で見させるようになってしまったのか、これも作者の意図が理解できない。もしかしたら、作者自身が誠子を見る目が変わったのか。

 いずれにしろ、土井崎誠子は物語の完成度を高めるひとつの鍵だったように思えてしまう。誠子にもっと深みか別の役割を与えれば、物語がひとりで動き出してもっと厚みを増したように思えてしまうのだが、どうだろう。『模倣犯』の書評に書いたように、真性宮部ファンでない自分がこんなことを書いてどうかと思うが。読み違えだろうか。

 三人称小説であるのに、滋子の一人称小説であるかのように描かれた本書の限界のようにも思える。ある意味、探偵小説の難しさかも。作者自身が「あらかじめ失われた楽園」を取り戻す作業としての本書であるならば、その作業は成功しているかどうか、それともぼくの見立てが大げさに過ぎるか、宮部ファンには一読をオススメします。

 ラストにひとつ。ネタバレにはならないと思うから書くが、サイコメトラー少年萩谷等が書いた、網川浩一のあの山荘の絵が解決されていない。等は実際に会った人か、後半の萩谷敏子の例をとれば実際に触った人の記憶を読み取る能力を持っている。では、あの山荘の絵はどう解釈すれば良いのか。もうひとつ壮大な物語が生まれる予感がする。どうですか>宮部さん? 当然折込済み?…(笑)。

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2007.08.17

エヴァンゲリオン 廉価版DVD-BOX

NEON GENESIS EVANGELION DVD-BOX '07 EDITIONNEON GENESIS EVANGELION DVD-BOX '07 EDITION
貞本義行 緒方恵美 三石琴乃

キング 2007-08-01
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収録時間 892分
仕 様 4:3スタンダード(DISC:1~8) 16:9 LB (DISC9~10) 片面2層
音 声 2ケ 1: 日本語 ドルビーデジタル/5.1chサラウンド 2: 日本語 ドルビーデジタル/ステレオ
収録話数・タイトル
DISC:01 第壱話 「使徒、襲来」 第弐話 「見知らぬ、天井」
第参話 「鳴らない、電話」 第四話 「雨、逃げ出した後」
DISC:02 第伍話 「レイ、心のむこうに」 第六話 「決戦、第3新東京市」
第七話 「人の造りしもの」 第八話 「アスカ、来日」
DISC:03 第九話 「瞬間、心、重ねて」 第拾話 「マグマダイバー」
第拾壱話「静止した闇の中で」 第拾弐話 「奇跡の価値は」
DISC:04 第拾参話 「使徒、侵入」 第拾四話 「ゼーレ、魂の座」
第拾伍話 「嘘と沈黙」 第拾六話 「死に至る病、そして」
DISC:05 第拾七話 「四人目の適格者」 第拾八話 「命の選択を」
第拾九話 「男の戰い」 第弐拾話 「心のかたち 人のかたち」
DISC:06 第弐拾壱話 「ネルフ、誕生」(OAフォーマット版) 第弐拾壱話 「ネルフ、誕生」(ビデオフォーマット版)
第弐拾弐話 「せめて、人間らしく」(OAフォーマット版) 第弐拾弐話 「せめて、人間らしく」(ビデオフォーマット版)
DISC:07 第弐拾参話 「涙」(OAフォーマット版) 第弐拾参話 「涙」(ビデオフォーマット版)
第弐拾四話 「最後のシ者」(OAフォーマット版) 第弐拾四話 「最後のシ者」(ビデオフォーマット版)
DISC:08 第弐拾伍話 「終わる世界」
最終話 「世界の中心でアイを叫んだけもの」

THE FEATURE FILM NEON GENESIS EVANGELION
DISC:09 「EVANGELION DEATH (TRUE)2」
DISC:10 劇場版 第25話 「Air」/劇場版 第26話 「まごころを、君に」

 知り合いが会社まで持ってきてくれた。DVD10枚、892分。つまり、14時間52分…。話のタネだからと盛り上がっていたら、「実は買ったんだよね。貸してやるよ」 いや、そんなに急いではいないんだが……。今日は「ハケンの品格 Vol.2」と「医龍2」が、ぽすれんから届いているはずだし…。ごめん、時間がかかりそうだ。HD買わなくちゃ。

 9月1日に新作のエヴァが公開されるのにあわせて発売された、破格の廉価版。値段を抑えたためか、確かに2枚ずつ収められたケースも見た目もちゃちい。中の赤いケースを引っ張り出すと指に赤い色が付着しちゃう。ちなみに、第弐拾壱話から第弐拾四話の、OAフォーマット・ビデオフォーマットはこういうことらしい。

全巻購入特典
テレビ版の第弐拾壱話~第弐拾四話は、VHS・LD全巻購入者特典として配布された。したがって、テレビ放送(現在のCSでの放送やネット配信を含む)のみを視聴した者と、レンタルビデオ等でのみ視聴した者の間で、第弐拾壱話から第弐拾四話についての解釈に差が生じる状態が長年続いていたが、2003年より発売されているリニューアル版DVDによって、オンエアフォーマット版とビデオフォーマット版の2つのフォーマットによる第弐拾壱~第弐拾四話を共に視聴することができるようになった。ビデオフォーマット版の追加部分は設定や登場人物の描写をより詳しくしたものであり内容が豊富で、オンエアフォーマット版は1回30分の枠に収まっているため、話のリズムやテンポがよい。(Wikipediaより)

 ホントにHD買わなくちゃ。

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11/8 『ララガーデン春日部』オープン

 春日部駅西口を出て、駅前ロータリー入り口の信号を左折する。更に、セブンイレブンを左手に見ながら真っ直ぐ進むと、いかにも不自然なだだっ広い草むらに突き当たる。歩いて4分くらいだろうか。心ある春日部市民なら誰でも知っているであろうバブルの爪跡だ。

 バブル全盛時、市内のある不動産会社が札片を切って地上げした土地だ。道路に囲まれた一角すべてを手中に収めるために、新築の家まで地上げし取り壊すさまが異様に見えたものだった。春日部版「ソニックシティ」を作ると豪語したが、バブルに崩壊の兆しが見えて計画は頓挫。以来、塩漬けされてしまう。15年ちょっと前だったろうか。

 この忌まわしい場所に、「ららぽーと(ララガーデン)」をオープンさせると三井不動産が発表したのが、2006年10月だった。

「(仮称)ララガーデン春日部」着工

主要テナントに「京成ストア」「ユナイテッド・シネマ」が決定

■三井不動産株式会社は、埼玉県春日部市にて計画推進中の「(仮称)ララガーデン春日部」を、10月24日着工いたします。当施設の開業は平成19年秋を予定しています。

■「(仮称)ララガーデン春日部」は、東武伊勢崎線・東武野田線のターミナル駅である「春日部」駅から徒歩4分に位置する約23,000m2という広大な敷地を活かした、延床面積約63,000m2、店舗数約80店の都市近郊型商業施設となります。

■ 建築デザインには、MTMインターナショナル及びフェルナンド・バスケス氏を起用。3層吹き抜けのオープンモールを主体とした開放的な空間をつくるとともに、周辺環境と調和した街づくり型の商業施設として、地域のお客様に日常的に利用していただけるような施設を計画しています。

■なお現時点において、食品スーパーの「京成ストア」、9スクリーン・約1,800席のシネマコンプレックス「ユナイテッド・シネマ」が主要テナントとして決定しており、今後も地域のニーズに応えるテナントの誘致を推進してまいります。……

 2007年春ころには特徴的なウェーブの屋根が姿を現した建物を、市民は期待と不安を持って見守ってきた。期待は誰でも思い描くであろうから置いておく。

 不安とは、まずクルマの渋滞だ。通常、こういった店舗は郊外に作られることが多い。しかし、「ララガーデン春日部」は市街地のど真ん中に建設された。貧弱なアクセス道路からクルマが溢れて、市内は身動きが取れなくなるのではないか、という不安。近くの「春日部市立病院」周辺までクルマが溢れるのではないか。

 住宅地のど真ん中ということも不安を煽る。商業地に建設されたのならまだしも、施設の隣は普通の民家が立ち並んでいるのだ。地域の方々の不安は想像してあまりある。この一帯の方々の生活は一変してしまうだろう。

 不安はまだある。近くにある大規模店舗である「ロビンソン百貨店」(東口)と「イトーヨーカドー」(西口)の撤退とそれに伴う人の流れと街の変化だ。どう考えても、春日部周辺に大規模な店舗3店が競合できるほどの商圏があるとは思えない。いずれ、どれかが立ち行かなくなって撤退するのではないか。人の流れが変われば、街の様相も変わってしまう。それがどの程度であるのか。街の一部がゴーストタウン化することにならないか。

 実はこれには対応計画があるとも聞く。国道16号と国道4号のバイパスが交差するあたりに、似たような大規模商業施設が計画されているのは、ご存知の方も多いだろう。この新施設に「ロビンソン百貨店」を持っていってしまおうという案だ。しかし、東口に「ロビンソン百貨店」がなくなると、東口は間違いなく寂れてしまうだろう。西口に1店、東口に1店が理想なのだが。

 もちろん、「ララガーデン春日部」に対する信頼感の薄さも不安の原因だ。運営は利に聡い大企業だ。客足があまりよくないと判断したら、さっさと撤退してしまうのではないか。あれだけの建物を取り壊すにも相当な出費だろう。あの状態で撤退されてしまったら、それこそゴーストタウンが出来上がる。治安は悪化の一途だろう。

 そんな中、8月10日のWeb埼玉でとうとうオープンの詳しい日時が掲載された。

 春日部駅西口の大型民間商業施設「ララガーデン春日部」が十一月八日にオープンすることが決まった。三井不動産(本社・東京都中央区)が建設中の都市近郊生活者向け商業施設で、県内初進出となる。

 地上六階建てで、延べ床面積は約六万三千平方メートル。春日部が舞台となっている人気アニメ「クレヨンしんちゃん」をテーマにした日本初のアミューズメントパークをはじめ、▽九スクリーン千八百席のシネマコンプレックス「ユナイテッド・シネマ」▽百貨店「三越春日部」▽食品スーパー「リブレ京成フードプラザ」など、テラス席を配置したレストランなど八十八店舗が入る。うち二十六店舗が県内初進出だという。施設は三層吹き抜けの開放的なオープンモール。中心には春日部駅西口にある藤棚をイメージした大屋根をデザインした。

 三井不動産は「地元ファミリーやシニア層、学生らの高度化・多様化するライフスタイルに対応し、地域コミュニティの核となるような快適で楽しい施設を目指す」としている。

 期待と不安がない交ぜ状態だ。もちろん、消費者の観点からは期待ばかりなのだが、街づくりの観点から見ると、あのような大きな郊外型店舗が市街地にデンと座るのは、あまり望ましくないように思ってしまう。今後のモデルケースになるのかもしれない。生暖かく見守りたい。

 「クレヨンしんちゃん」のアミューズメントパーク、「三越春日部」……、なんだかイヤな予感がするのだが。

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2007.08.14

八ヶ岳南山麓の旅

 出発したのは、8月9日午前7時15分。向かう先は毎度の八ヶ岳南麓だが、いつもとは違う道路を走ることに決めていた。いままでの道路とは、関越道東松山ICから上信道佐久ICで降りて国道141号を南下する経路。高速に乗るまでも降りてからも一般道を1時間以上は走らなくてはならない。これが難点だった。

 今年は、中央道につながった圏央道を利用した。狭山日高ICから乗って中央道須玉ICまで一直線。須玉ICから15分も走れば目的地だ。この違いは大きい。それと今回は、八王子の「東京霊園」にお墓参りをする予定だったので、必然的な選択だった。

 あちこちで渋滞に引っかかったのは誤算だったが、須玉ICから15分程度はやっぱりいい。まず、向かったのは「清泉寮」。目的はソフトクリームだ。

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↑清泉寮で営業している「清里高原花馬車」。向こうに薄っすら富士山が。
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 清泉寮は、清里周辺では指折りの観光スポットだ。大勢の方々がバスを連ねてやってくる。目当てはソフトクリーム。すぐに溶け出すソフトクリームは、甘さ控えめで見た目ちょっと粒子が粗そうなジェラード風。しかもとんでもなく滑らか。今年は2回食べた。おいしかったんだけど、ちょっと味が変わったような気がした。甘さが更に抑えられたような。自分の体調のせいかな。

 初日の夕食は、いつも「ほうとう」を食べに行く。141号沿いにある「小作」だ。注文したのは、ポップにつられて「豚の角煮ほうとう」。しかし、これが大失敗だった。

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 元来、豚肉はほうとうの味噌味とはベストマッチなのだが、スープに浮いている角煮に染み込んだ濃厚な味がスープに流れ出してしまい、角煮の臭みがひどくなるわスープの味が変わってしまうわで、最低のほうとうだった。今年はかぼちゃもうまくなかった。傷心のまま帰途についた。

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木立の向こうの、雲ひとつない空に浮かぶ八ヶ岳

 翌日も快晴。朝9時半から、「清里の森」で息子たちとパークゴルフを楽しんだ。「公園へ行こう!」「サイボクハム」の項に自分で書いた記事から引用すると、

 パークゴルフという耳慣れないスポーツは、1983年に北海道で生まれました。ルールはゴルフとほとんど同じですが、ボールが木製のテニスボール大で、クラブは木製のドライバー風のスティック1本だけを使用します。コース距離は長くても100m程度で、これもゴルフと同じく全18ホール。大抵森の中を縫うようにコースが作られています。1ラウンド約1時間から1時間半です。
 近年、ゲートボールよりオシャレで年寄り臭くない全年齢対象軽スポーツとして、また、ゲートボールを良しとしないベビーブーマーの高齢化によるニーズの高まりでかなり注目されています。現在は全国で550ヶ所以上のコースがあり、競技人口は40万人とも言われています。

 こちらのコースは森の斜面に作られているので、樹木が多い上にコースに傾斜があってとても難しい。隣のコースとの間隔も狭い。「サイボクハム」のコースは平坦で、ここよりずっと簡単かも。結局、息子たちと18ホール全部回るのに2時間近くかかった。ハンディ12をつけた次男が優勝。

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 ついで、「清里ハイランドパーク」へ向かう。次男のたっての願いで「展望リフト」に乗るためだ。一気に標高1,900mまで登るリフトはとても静か。中腹では、涼やかな風に吹かれて、ホトトギスの声しか耳に入ってこない静謐な高原の雰囲気を満喫する。澱が洗い流されるようだ。

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 昼食は、レストランで「ナチュラルランチバイキング」をいただいた。おいしかったのだが、値段のわりに種類が少なくて残念。観光地だからしょうがない、という意識がいけないのかもしれない。元々、バーベキューのレストランだった。隣にリーズナブルなお値段の蕎麦店があったのに、そちらは数年前に軽食処に改装してしまった。あまり良い印象がない。


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 国道141号沿いにある「萌木の村」にはオルゴール博物館「ホール・オブ・ホールズ」がある。こちらでは1時間ごとに、所蔵しているオルゴールを鳴らしてコンサートをやってくれる。オルゴールとは、自動演奏楽器を意味する。ぼくらが考えるあのオルゴールとは概念が違う様々なオルゴールが並んでいる。

 コンサートでは、アンティークなオルゴールまで鳴らしてくれる。美しい音色に合わせて人形たちが動くものもある。今回は次男に聴かせることが目的だったが、疲れきった次男坊の耳には、親が思うほどには届かなかったようだ。一番大きな圧倒的な音量を響かせるオルゴールを聴くことができなかったのも残念。壊れないように毎回は鳴らさないらしい。注意が必要。

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 141号の裏道である牧場通りの「谷口牧場」あたりから見る八ヶ岳が美しい。最終日はしっかり写真に収めて、「滝沢牧場」へ向かった。次男が馬に乗るためだ。こちらも、長男が幼稚園児のころから必ず寄っている。中学生になったころから長男は乗らなくなり、代わりに次男が乗るようになった。滝沢牧場から望む八ヶ岳もすばらしい。

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滝沢牧場↑ プリントショップ↓
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 牧場内に、これもまた毎年通っているプリントショップがある。シルクスクリーン印刷された絵柄を、Tシャツやトレーナー、シャツなどにアイロン転写してくれるのだ。店主は韮崎にTシャツのプリントショップを経営されている方で、夏の間だけこちらに出張ってこられる。今年次男に作ったTシャツで8枚目だと思う。一昨年父親が作った絵柄の小さいヤツだったので、おそろいになった。

↓以前作ったトラクタのベンツと呼ばれるJOHN DEEREのTシャツ
Tshirt

 滝沢牧場の売店の無愛想なおばさんは、今年も健在だった。おばさんに気を使いつつお土産を買って、郷里に向かった。

 新潟は地獄のような暑さ。先日の中越沖地震で、せっかく直した床の間の壁がまた落ちたといって笑う両親が元気そうで何よりであった。ぼくはといえば、暑さに加えて、帰省するたびに見舞われるアレルギー発作で四苦八苦の2泊だった。

 そして、13日に帰宅した。
 途中、関越道から越後三山と谷川岳がくっきりと見えた。直下が越後三山。右から、八海山(1,778m)、中ノ岳(2,085m)、越後駒ケ岳(2,003m、別称魚沼駒ヶ岳)。八海山には単独で登ったことがある。越後駒ケ岳は「日本百名山」にも数えられている。

 一番下が、谷川岳(1,977m)だ。一の倉沢などの岸壁では、800人もの登山者が命を落としているので、魔の山などとも呼ばれる。群馬側の登山口が有名で、一ノ倉沢や天神平も群馬側にある。新潟側からの写真はあまり見かけない。ぼくは登ったことがないけど、首都圏からのアクセスの良さと登山客の多さが原因なのかな。不明。

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↑右から、八海山(1,778m)、中ノ岳(2,085m)、越後駒ケ岳(2,003m、別称魚沼駒ヶ岳)
↓奥に見える山並みが谷川岳(1,977m、左から茂倉岳、一ノ倉岳)

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 都合4泊5日。どこに行っても暑い旅だった。帰宅して、夫婦そろって頭痛でダウン。疲れた。


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2007.08.13

寂れゆく清里

 8月9日朝から、毎年恒例の八ヶ岳南麓経由新潟の実家巡りの旅に出ていた。八ヶ岳南麓とは、平たく言えば清里&甲斐大泉+野辺山周辺。一時のミーハーなブームの残骸が痛々しい地域で、何年も捨て置かれたスーパー跡や、閉められた商店跡、道路脇に捨て置かれた廃車などが点在している。

 十数年の間毎年通っているが、ここ数年で更に増えたように思う。廃墟群は、佐久から清里・野辺山経由で山梨に抜ける唯一の道路である、国道141号線沿いに立ち並んでいる。せっかくのリゾート気分が台無しである。壊すにもお金がかかる。それはわかるが、あの寂れた雰囲気は、旅人の心を湿らせる。なんとかならないものかな。

 南山麓なので、雪の状態がよくない。これが北山麓との大きな違い。唯一のスキー場も人工降雪機で凌いでいるようだ。近くにある小海リエックスも似たような状態だとか。冬場の集客さえ改善できれば、もっと地元が潤ってなんとかなりそうな気もするが、ただ寒いだけで冬場の観光資源の乏しい地域に集客するのは難しいかもしれない。

 行政はどう考えているのだろうか。合併で誕生した北杜市は山梨県北部の山岳地帯で、多くの観光地を抱えている。その中に、あの風光明媚な八ヶ岳南麓も埋もれてしまうのだろうか。廃墟群を撤去するだけでも、印象がだいぶ変わってくるのだが。

 こんなことを書いておきながら、実は、清里駅周辺の喧騒が大嫌いで数回しか足を踏み入れたことがない。あれだけが目当ての客はリピーターにはならないだろう。そんな観光客は二度と来なければよいと思うが、地元としてはそうじゃないのだろうな。

 ともかく、まず、あの廃墟群をなんとかしてくれないだろうか。

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2007.08.09

書評 『日本人はなぜ戦争をしたか-昭和16年夏の敗戦』 猪瀬直樹

日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)

小学館 2002-07
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 1983年『昭和16年夏の敗戦』というタイトルで、世界文化社から刊行された猪瀬直樹36歳の著作。1986年に文春文庫に所蔵された後、長く絶版状態だったものが、「猪瀬直樹著作集」のNO.8として小学館から2002年に刊行された。

 1991年に開戦五十年特別企画としてフジテレビによってドラマ化されたので、ご記憶の方もあるかもしれない。中村雅俊、神田正輝、田村高廣らが出演する2時間ドラマだった。

 1941年(昭和16年)、外務省、大蔵省、内務省、陸軍省、海軍省、日本銀行などの官僚と、日本製鉄、三菱鉱業、日本郵船などの民間から選び出された30歳代のエリート36人によって「総力戦研究所」が設立される。向こう一年間にわたって、武力戦、思想戦、経済戦、国内政策、対外政略などの国家総力戦を実行するための訓練を受けることが目的だった。

 しかし、途中から趣旨が変質する。これら36人で、日本をモデルとした仮想国の「青国」を舞台に「模擬内閣」を組織して、開戦か否か、開戦した場合はどうなるのかを議論することになるのだ。血気盛んな各分野の専門家たちが集まっているから、非常に率直な議論が行われることになる。

 そして、導き出された結論は「日本必敗」だった。少壮のテクノクラートたちが、あらゆる事象、あらゆる数字を駆使して日米戦をシミュレーションしても、決して米国には勝利することができなかった。この「日本必敗」を日米開戦前の昭和16年8月、当時は陸軍大臣を務めていた東條英機を含む近衛内閣の眼前で報告を行うのだ。

 いまでも、謎とされる「日米開戦」。政府と、政府が侵す事のできない天皇大権としての統帥権を定めた明治憲法に原因を持っていく人も多い。時の政府と大本営(統帥部)の開戦を巡る駆け引きと、同時進行で「総力戦研究所」の活動を対比させるように描く。

 猪瀬直樹の取材は、毎度ながら細やかだ。書籍に頼ることなく、存命の関係者にインタビューを行って、淡々と書き起こしている。推論も大きく飛躍せず、事実を踏まえた上で行う。こうして猪瀬直樹が導き出した、東條英機の実像にかなり驚かされた。

 連合軍の宣伝や東京裁判やぼくらが受けた教育などによると、東條英機こそが戦争を引き起こした張本人でまさに極悪人である。しかし、本書によれば、首相である東條は開戦を望んでいなかったらしい。なぜなら、東條は天皇に忠実であったから。その開戦を望まない昭和天皇と、開戦を迫る大本営との間で板ばさみとなり、非常に苦しんだという。

 しかしながら、首相就任前は主戦論者だった。更に、開戦を決定する内閣の総理大臣でもあった。残念ながら、東條英機はあの時代の歴史に登場するべきではなかった。まったく理念のない政治家。政治家というよりも場当たり的な官僚と呼ぶべきかもしれない。あの時代にこのような人物しか持つことができなかったのは、不幸と言うしかない。

 本書が問いかけてくることは何か。開戦直前に行われた、開戦後に南方から石油を確保するにあたっての、貯蔵量の報告会議が象徴的だ。誰の意思でもなく、ただ流され作られてゆく数字。局地的にみれば、現代の日本のどこで行われてもおかしくない空疎な実に日本的な会議。

 終戦記念日を控え、肝に銘じておきたい。

 

 PS:しばらく留守にします。

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2007.08.06

書評 『極大射程』 S・ハンター

極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)
Stephen Hunter 佐藤 和彦

新潮社 1998-12
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 2007年6月1日に公開された映画『ザ・シューター 極大射程』の原作本。
 これぞエンターテメント。文句無く楽しめる。上下2巻とちょっと長いけど、冗長なところがまったくない。ハラハラドキドキの物語の中にいろいろな仕掛けが配置されている。それは時限爆弾みたいなもんだから、より劇的にってのも頷けるんだけど、ラストあそこまで引っ張らなくてもね。そんな仕掛けといえば、ダイイングメッセージまであるのだ。これで本格物の読者まで射程に入れたか。

 何といっても、練りに練られたストーリィが抜群におもしろい。伝説のスナイパー ボブ・リー・スワガーが罠に嵌められ、大統領暗殺犯の汚名を着せられる。そして、もう一人の主人公と交錯する。FBIのニックだ。ニックもまた運命に翻弄される。間一髪逮捕を免れたボブは自らの汚名を削ぐため、愛する人を守るため、陥れた組織を相手にたったひとりで戦争を仕掛けていく。

 この大胆な戦争を仕掛けていく主人公ボブの信条は、
 「自分や自分の大切なものを傷つけようとしている相手以外は、誰も傷つけてはならない」
 「自分の義務だと思えることをする」
 まるでハードボイルドのヒーローのセリフだが、ボブのストイックさはまさにハードボイルドそのものといえよう。銃という武器を持つ者の誇りを端的に表している。この信条を胸に、ボブは人間離れした殺傷力で数多くの窮地を切りぬける。

 作者は「ワシントン・ポスト」の映画批評欄のチーフらしい。だからなのかどうかは解らないけれど、時間経過や場面転換がやけに映画的。騙し騙されの殺戮ゲームはドラマチックに進行し、長いエンディングの末迎えたラスト。大きな時限爆弾が爆発するのだ。賢明なる読者はとっくに気がついているんだけど。これで良いのだな。

 それにしても、、それにしても、アメリカにはこんな銃オタクがウヨウヨしてるんだろうか? 作者からしてが大変な銃知識。この本に書かれた銃に対する薀蓄は楽しめる人とそうでない人がいることだろう。武器を持つ人間にはボブ・リー・スワガーのようなダンディズムが必要なのかもしれない。物語そのものに銃天国アメリカの言い訳めいた一面を見たような気がしたのだけれど…

 93年の出版時に目の早いパラマウントが映画化権を獲得した。しかし、なかなか映画化されず、99年にキアヌ・リーヴス主演でアナウンスされたが、果たせなかった。で、ようやく今回マーク・ウォルバーグ主演で映画化された次第。ところが、あんまり評判が良ろしくない。原作の方がずっとおもしろいとの声が多く聞こえてくる。映画はどうなんでしょうね。
(文章をちょっといじって、サイトから転載)

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2007.08.04

いまや、mixiこそ誘拐カタログ?

 どの本か忘れてしまったけど、最近読んだ本で、mixiをはじめとしたSNSについて、『「交換日記型サービス」を中心としたビジネスモデル』と定義しているのを読んだ。愕然とした。交換日記? 気持ちわりぃ。オレはそんな幼稚なことしちゃいないぞ…。

 しかし、冷静に考えてみれば、mixi日記は交換日記そのものだった。確かに当初のmixiは、マイミクという特定の方々だけが読むことを前提にした気楽な日記だった。家族の話や趣味の話を心地よく書き込める、交換日記。しかし、いまや会員1,000万人を突破してとても気楽に書ける状況ではなくなっているのだ。気づいていない人がとても多い。

 ブログの誘拐カタログ化に憂慮する

 …… 子の毎日を微に入り細にうがって書き込む親がいる。まるで観察日記のように毎日きちょうめんに書く親がいる(顔写真付き)。それはとても微笑ましく暖かい行動だと思う。人権厨房みたく「子どものプライバシーが…」と酸っぱいこと言うつもりはないが、軽率な記事(エントリ)があまりに多い。これからその子をさらおうとする輩にとって、大変有益な情報を提供してくれる。あるいは、どの子を誘拐しようかな? と吟味している輩には格好のカタログと化している。……

 とある かぞくが のこした blog

 …… 入学式が終わった後、初めて教室に入ったら、黒板に大きくここのURLアドレスがかかれていた。わたしは、これからわたしにされるいじめを思って暗い気持ちになるのと同時に、これまでの疑問の答えを見つけた気がした。
 そうなのだ。私がいままでいじめられてきたのは、ブログのせいだったのだ。……

 上記はブログに関しての警告だが、いまやそっくりmixiにも当てはまる。っていうか、mixiの方が危なくないか? 知り合いや友だちを相手に書いている日記だと思えば、ブログ以上にリミッターが外れる。流出画像からmixiで晒している個人名を辿られたり、ブログの記事を辿ってmixiから個人情報が漏れたりといった不幸な出来事は何度も起こった。

 ブログについては上記のような様々な警告が多く発せられて、それなりに周知されてきた。しかし、mixiについては事件が起こったとき以外はあまり見かけない。認めたくないというか周知されない現状があって、現在のmixiはとても中途半端で、危うい位置に立っているような気がする。ぬるい雰囲気が忘れさせてしまうのかもしれない。どちらにしろ、当初のようなお気楽さは捨て去らなくちゃいけない。

 過剰反応だろうか? 

 そんなこんなで、mixi日記はやめて、こちらにリンクすることにしました。そんなに文章を書けないし。必要なくなったのでプレミアムも解約。

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2007.08.03

書評 『日本国の研究』 猪瀬直樹

日本国の研究 (文春文庫)日本国の研究 (文春文庫)

文藝春秋 1999-03
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 帯に『小泉構造改革の「バイブル」』の文字が躍る。文芸春秋1996年11月号~1997年1月号の3回に分けて連載されたものをまとめた本だ。帯の惹句は決して大げさでなく、本書を読むと、小泉前総理が躍起になって推進した「郵政民営化」の本質があらためて見えてくる。しかし、腐敗は財政投融資についてだけではなった。

 道路公団、郵政、財投、特別会計、公益法人、利権、腐敗、天下り、官僚支配への追求と改革は、すべてこの本からはじまったといっても過言ではない。実際、連載当時から国会開催時に議員たちが文春の記事のコピーを回し読みしていたという伝説の名著だ。巻末の竹中平蔵の解説が、自らの能力不足と悔恨を表しているようでおもしろい。若干痛いが。

 官僚たちの構造的な腐敗がはじまったのは、1960年代からのようだ。「優秀な」官僚たちが、自分たちに都合の良いように法律の穴を突き、「規制」と「許認可」と「カネのたらい回し」と「補助金泥棒」による収奪の法則を作り上げた。それに乗っかる政治家の姿が田中角栄しか描かれていないのは残念だが、本書の主題はそこにはないので論っても詮無いことだ。

 猪瀬直樹の手法は徹底している。どの著作でも同じだが、徹底的に資料を読み上げ、矛盾を浚いだして突き詰めて事実を積み上げる。それでも見えない部分は、現場へ足を運び、また当事者たちにインタビューを行って更に積み上げる。こうして隠された真実、或いは資料から導き出される確信的な推論が炙り出される過程は、ミステリーに通じるところがあり、読者を飽きさせることが無い。

 各省庁が、法律で禁止されている「子会社」のような「特殊法人」をどうやって作ったか。その「特殊法人」が更に子会社を作り、どうやって集金の法則を作り上げたか。それらのシステムにどれだけの税金がつぎ込まれ、無駄に消費されていったか。端的に言えば、現在の日本の行政システムは、官僚が税金を食い荒らすシステムなのだ。まるで社会主義国家のような日本の官僚システムはこれほどであったのか。

 いまでこそ、このような報道をするマスメディアも増えてきたが、10年前当時は誰も教えてくれなかった。しかも、この作業はドン・キホーテで終わっていない。ご存知のように作者は、2001年小泉内閣の行革断行評議会(行政改革担当大臣の諮問機関)に名を連ね、2002年には道路関係四公団民営化推進委員会委員に就任して、民営化を完遂した。

 作者の力がすべてとはいわない。しかし、「日本道路公団」の分割・民営化は猪瀬直樹がいなければ、できなかったのではないか。それ以前に、道路公団と同じくらい財政投融資を食い散らかしていた「住宅・都市整備公団」は分譲をやめ、賃貸に特化するようになった。そして、郵政民営化に至る。

 誤解しないでいただきたいのは、本書は小泉前総理の構造改革を、理論的にバックアップし正当化する目的で書かれたものではないことだ。チラッと小泉は登場して意気に感じたような記述はあるが、郵政民営化についてはそれほど大きなスペースが割かれていない。

 整理できないほどに複雑・巨大化した「特殊法人」。すでに知れ渡っていることであるが、政治の力で解体させるのが難しいならば、お金の出所を押さえようと言う発想が「郵政民営化」の本質だった。これは、行政改革のほんの一部である。本当にいまさらながらで申し訳ないが、本書を読むと腐りきった官僚の本質が見えてくる。基本中の基本の書である。

 続編に『続・日本国の研究』があり、道路公団民営化に際しての一部始終は、『猪瀬直樹 道路の決着』 『道路の権力』で読むことができる。

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