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2007.08.21

詐欺的「われわれ」の使い道

 一人称複数形の主語を使って語る人間は、多くの場合、あんまりアタマを使っていない。

 敬愛する浦和系コラムニスト小田嶋隆さんのブログにあった。けだし名言である。即座に連想したのが、ジャーナリスト佐々木俊尚さんのこの記事だ。

 新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか

 いまや<われわれ>の統一性は社会から失われてしまっていて、どこにも存在しない<われわれ>を主語にして記事を書くこと自体が、不可能になってきている。そのような状況の中では、新聞は<われわれ>に仮託して記事を書くのではなく、(1)自分自身がどのような立場でどう思っているのかという立ち位置によって記事を書くこと、(2)そしてその立場で記事を書けば、当然、意見の異なる他者が出現して自分自身が批判されうること、を前提としなければならなくなってくるように思う。

 小田嶋さんの文脈とは若干意味合いが違うが、「われわれ」の後ろに多数の影が連なっているという安心感は同じと思う。こういったマスコミが使う詐欺的なレトリックは、もちろん新聞だけでない。新聞以上に罪深いのはテレビだ。ドーランを塗りたくって額のテカリひとつない古舘伊知郎が、筑紫哲也が、鳥越俊太郎が、木村太郎が、みんな「われわれ」と称して意見を述べている。

 小田嶋さんの一人称複数形より性質が悪いのは、彼らはその「われわれ」の先頭に立っていると確信していることなのだ。見る人が見れば、勘違いか自己欺瞞としか見えないのに、だ。しかし、そういった「われわれ」を連発する人たちに共感する人が、厳然と存在していることの方が問題かもしれない。

 だから、久米宏みたいに「われわれ」のあとに「庶民」をつけて連発していた人が大衆の信頼を得てしまう。主婦仕事なんてしたことが無い(と思われる)田中真紀子みたいな人が、「主婦代表」などと言うと大ウケしてしまう。バカにした話だが、そういうことなんだろう。久米宏と田中真紀子と徒党を組んだと錯覚させるレトリック。汚いわ。

 それでも、まあ、確かに「われわれ」を主語にすると気持ちが良い。急に視界が開けたような気分になる。ぼくの場合も、小田嶋さん的文脈でほんの一時間半程度スタジアム限定、しかも末席だけど。
 そういうわけで、We are REDS.

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