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2007.08.20

書評 『楽園』 宮部みゆき

楽園 上 (1)楽園 上 (1)
宮部 みゆき

文藝春秋 2007-08
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 新刊本を追いかける読書からはとっくのとうに足を洗ったつもりだが、本書は発作的に購入してしまった。帯の惹引句が目に入った瞬間、まったくの「パブロフの犬」状態で、本書を手にレジの前に立っている自分がいた。引き返せない。「「模倣犯」から9年-前畑滋子 再び事件の渦中に!」ですよ。文春の勝利ですね。

 しかし、正直に言わせてもらえば、期待ほどの作品ではなかった。もちろん、宮部の作品だからある水準はクリアしているけど、残念ながら思っていたほど感動させてはもらえなかった。『模倣犯』もそうだったが、前半は期待させてくれる。しかし、後半になって、物語が大きく動き始めると、途端に苦しくなってしまう。

 前半部の木目の細かさは、さすが宮部だ。『模倣犯』 の事件を本としてまとめることができず、それどころか本来の「書く」という仕事すら出来なくなった前畑滋子が、ふとしたことでライターとして復帰する。ハードボイルド風に言い換えてみれば、本書は前畑滋子の「過去の清算」物語とも言える。

 しかし、これは作者の宮部自身にも当てはまることではなかったか。世間的に耳目を集めた『模倣犯』以来、なかなか現代を舞台にした小説を書いてくれなかった。お茶を濁したと言っては大いに失礼だが、時代小説やファンタジーなどは、『模倣犯』を読んだ読者にとっては、宮部作品として満足できるものではなかった。『模倣犯』を読んでしまったのだから、仕方ないでしょう。

 また、『模倣犯』は宮部の作風から見ても、大きなターニングポイントだったように思う。以後、宮部が描くミステリはテーマが変わった。『名もなき毒』(宮部にしては珍しい正統派探偵小説)もそうだったが、犯罪そのものよりも、加害者・被害者とその家族などの周囲の人々を描くようになった。小説家宮部みゆきが獲得した真の社会性だと思う。

 作者が得た社会性を帯びたオリジナルなテーマを、その契機となった『模倣犯』の重要登場人物で昇華、あるいは確認してみる。本書はそんな作業のように思えた。それなら多くの現代小説は書けない。「あらかじめ失われた楽園」を見い出すための代償を支払ったのは、宮部自身だった。そこに「楽園」があるかどうかは、今後の仕事にかかってくる。

 木目の細かさは、超能力者萩谷等の母親(萩谷敏子)に向けた「おばさん描写」とその家族たちの描写にもいかんなく発揮されている。しかし、このご託宣を述べる老婆を中心にした家族に向ける前畑滋子の洞察が、宮部の描写だけでは性急のように思える。どうもにも浅い。滋子の鋭さというよりも、予定不調和の浅さと言ってもいいような不健全さ。

 こうした前半部から、後半に入って物語は急展開する。しかし、解決部を、滋子が土井崎向子宛に送った手紙で過去語りをさせてしまった。読者の興奮を鎮めさせることなく、結末を土井崎向子に伝えるべく送られた手紙。この手紙が最も不自然だった。この手紙が更に読者に向けて謎を解明させる契機となるから、どう物語を構築するか捻って捻った末の処置のような気がする。

 これだけでなく、土井崎向子の登場のさせ方や別視点の物語挿入など、構成上いろいろと工夫を凝らしている。しかし、土井崎向子のドラマチックな登場のさせ方と人物造型や、ラストの意外性はあるが妙に宮部らしい展開は良いとしても、別視点での物語挿入は必要ないように思ってしまった。

 ここまで凝らなくても、作者の「土井崎茜はひとりじゃない」というメッセージは伝わってくるのだ。ここまで語られると、逆の効果を強く感じてしまう。どうにもしつこくコジツケに思えてしまうから困ってしまう。相変わらずの語りすぎ。特に、土井崎向子に向けて滋子が発した「茜を見た」は演出&レトリック過剰でしょう。

 本書のひとつのテーマは「超能力」だ。しかし、宮部お得意の「超能力」ジュブナイル風物語の範疇には入らないかもしれない。なんせ、サイコメトラーの小学6年生は既に亡くなっているから。その亡くなった少年の描いた「絵」が、少年が超能力者だったと主張している。母親の依頼で、前畑滋子はこれを証明しようと動くわけだ。このあたりの着想はとても良い。

 残念なのは、両親に殺されて埋められた茜の妹-土井崎誠子が描ききれていないように見えることだ。茜を除けば最大の被害者である彼女に、なぜか宮部の筆は冷たい。悩むだけでは、前に進まないのはわかるが、萩谷敏子や土井崎夫婦に送る視線と比べて、誠子に送る視線があまりに冷たすぎた。

 滋子自身が「模倣犯」事件を克服するのに相当な時間を要しているのに、被害者と加害者の家族である土井崎誠子に対してなぜこんなにも冷たいのか理解に苦しむ。なぜ、作者は滋子に誠子をそんな目で見させるようになってしまったのか、これも作者の意図が理解できない。もしかしたら、作者自身が誠子を見る目が変わったのか。

 いずれにしろ、土井崎誠子は物語の完成度を高めるひとつの鍵だったように思えてしまう。誠子にもっと深みか別の役割を与えれば、物語がひとりで動き出してもっと厚みを増したように思えてしまうのだが、どうだろう。『模倣犯』の書評に書いたように、真性宮部ファンでない自分がこんなことを書いてどうかと思うが。読み違えだろうか。

 三人称小説であるのに、滋子の一人称小説であるかのように描かれた本書の限界のようにも思える。ある意味、探偵小説の難しさかも。作者自身が「あらかじめ失われた楽園」を取り戻す作業としての本書であるならば、その作業は成功しているかどうか、それともぼくの見立てが大げさに過ぎるか、宮部ファンには一読をオススメします。

 ラストにひとつ。ネタバレにはならないと思うから書くが、サイコメトラー少年萩谷等が書いた、網川浩一のあの山荘の絵が解決されていない。等は実際に会った人か、後半の萩谷敏子の例をとれば実際に触った人の記憶を読み取る能力を持っている。では、あの山荘の絵はどう解釈すれば良いのか。もうひとつ壮大な物語が生まれる予感がする。どうですか>宮部さん? 当然折込済み?…(笑)。

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