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2007.09.09

映画評 『ALWAYS 三丁目の夕日』

ALWAYS 三丁目の夕日 通常版ALWAYS 三丁目の夕日 通常版
山崎貴 西岸良平

バップ 2006-06-09
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 とてもよく出来ている。なんといっても、ミニチュアとCGで再現された(らしい)昭和33年の東京の街並みに驚かされた。建設中の東京タワー、都電と都電が走る道路、上野駅ホームと発着する蒸気機関車のC62、道路を走るクラシックなクルマ、銀座の街並みなど、DVDを22インチ程度の画面で観たからか、どこまで実写かまったくわからなかった。じゃあ、映画館で観たらわかるのかと聞かれても、自信がない。とてもよく出来ていた。

 事前情報によれば、ともかく素直な気持ちで観る必要があるらしいので、心を平らかにして観た。そして、素直に感動させてもらった。アラは探せばいくらでもある。某新聞社が「徹底的に昭和30年代を美化して、感動させ泣かせる映画である」というような批判を展開したらしいが、そんなのは観れば誰だってわかることだ。

 しかし、その一点だけで、こんなすばらしい映画を批判する気持ちは起きない。感動させようとしているのは事実だし、ちょっとばかりあざといのも事実だ。エンターテイメントである以上、そんなのは当然のことなのだ。感動させてナンボ、お客さんの涙を絞ってナンボなのである。あざとさの程度と表現が問題なのだ。

 余談だが、ぼくはある時期から、浅田次郎の作品が読めなくなってしまった。直木賞を受賞したころまでの浅田は、ぼくが勝手に命名した「寸止め作家」だった。あざとさ&お涙頂戴が、度を越す直前で見事に「寸止め」された物語を書く「寸止め作家」だったのだ。わかっていても泣かされる、そんな物語を書く作家。

 しかし、直木賞受賞を境に彼は寸止めができなくなった。プレッシャーだったのかもしれない。読む作品どれも度を越したあざとさに堕ち込んでいった。浅田次郎の小説では、泣けなくなった。なぜか考えたことがある。結局、登場人物をいかに自然に動かすかなのだ。どうやって自然に登場人物たちに感情移入してもらうかなのだ。

 安易に動く登場人物たちに、読み手は簡単に感情移入できない。涙を誘う登場人物たちの行動は、彼らの持つ背景に裏打ちされた矜持に基づく行動でなければならない。自然なパターンを使い尽くしたのかもしれないし、読み手であるぼく自身の変化かもしれない。ぼくはいまでも浅田次郎の近作を読むことができない。

 こう考えてくると、この映画の作り方を容認できるのも、初体験という理由が大きいかも知れない。映画の設定が斬新で郷愁を誘われ、活き活きとして心豊かであるように見える登場人物たちが織り成す群像劇に心を打たれた。虚を衝かれたような状態だったのだろうか。う~ん、違うな、この映画は本当に愛すべき映画だと思う。

 2007年11月に続編が公開される。得てして、続編は感動の第一作が与えた夢を壊してしまうものだ。第一作を観た観客に寸止めは難しい。ファンタジーとして昇華させるのは、もっと難しい。宝物のような映画だったから、安易な続編で夢を壊されたくない。観るべきか観ざるべきか…。杞憂かな?

 監督の山崎貴の過去2作品(『ALWAYS 三丁目の夕日』は監督3作目)と、映画で大活躍したダイハツミゼットの鈴木オートバージョン(映画の舞台)を。『ジュブナイル』は子どもたちと小型ロボット”テトラ”の物語。ロボットのCGがすごかった。『リターナー』は未見。SF・アクション大作らしい。評価は真っ二つ。評論家によっては「山崎貴はハリウッドでもやっていける」と言われたとか。

ジュブナイルReturner リターナー
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