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2007.09.12

書評 『フラット革命』 佐々木俊尚

フラット革命フラット革命

講談社 2007-08-07
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 インターネットの未来を語ると、社会学のような様相を呈してくるからおもしろい。それは、インターネットというメディアが、過去のメディアにない特性があるからで、なおかつその特性が社会構造を変革してしまうほどの力を持っているからだ。本書は、インターネットが社会にどういう影響を与えているか、その行く手には何が待ち構えているかを探っている。

 作者はインターネットに造詣が深く、過去にネット関連の書籍を何冊も著している気鋭のジャーナリストであり、つい最近まで毎日新聞に席を置く新聞記者でもあった。インターネットの影響を真っ先に被っているのはマスコミであるから、未来を語るのにこれほどふさわしい人材もいないのではないかと思わせる。

 CNET Japanの「佐々木俊尚 ジャーナリストの視点」というブログにたまに記事を書いていらっしゃるのだが、2007年春にいわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」について、毎日新聞が掲載した記事とその取材方法全般について、非常に興味深い記事を書かれた。これがものすごくおもしろく、興味深かった。

 この一連のやりとりをふくらませて第一章にもってきている。マスコミがネットに対して持っている偏見が、これを読むと非常によくわかる。しかし、これを社会は許容しない。ネット隆盛を尻目に見ながら、大新聞は没落していくしかないのか。マスコミは大衆の信頼を失い、失墜していくしかないのか。元新聞社の記者だけに、非常に興味深い論考となっている。

 つまり、ネットが日常的な情報インフラとなったことで、大新聞などが持っていた権威が揺らいでいるということなのだ。誰もが情報を発信でき、誰もが大新聞などの権威に対して異を唱えることができ、更にそのプロセスを掲示板やブログなどで誰でも見られるようになった時代。これを作者は「フラット革命」と呼んでいる。

 第二章第三章では、個人と社会とのつながりを思考しながら、日本人の属人的意識を分析する。自己は確立されているか、ということを繰り返し述べる。更に、ネット時代の人間関係のあり方に踏み込み、多くの人々が参加するネット上の言論が、一見勝手気ままに見えるようで、実は正しい方向に向かっているのではないか、という「集合知」的なアプローチがなされる。

 そして、本書の主眼である第四章「公共性を誰が保証するのか」に進む。いままで、大新聞大マスコミが担保していた「公共性」を、フラットになった社会では誰が担保するのか、何を信用して何を無視すれば良いのかを検証してゆく。これが最も難しい部分で、未来予測の部分である。

 しかしながら、作者が導き出したネット上の「公共性の担保」はとても脆弱に見える。ぼく自身は「集合知」についても俄かには承服できない部分があるので、更にネット上での可視性のコミュニケーションそのものが「公共性の担保」といわれてもピンとこない。もっと何かあるのはないか、もっと別の方法があるのではないかと思ってしまう。

 過去にから現在にかけてのネット界の動きについての分析は鮮やかで、とてもおもしろかった。ただ、第二章第三章が弱い。特に第三章は恣意的で、登場する人物たちがとてもイヤらしい人間のように見えてしまう。彼らは自分のマイミクたちをコントロールしているつもりなのか? マイミクは彼らのおもちゃか? ぼくが彼らのマイミクなら、すぐに縁切りをしたくなるような記述だった。不快感しか残らない。

 作者の本は新書で何冊か読んだことがある。正直、いきなりのハードカバーでびっくりした。多少の不満はあるが、それだけの価値はあるのではないかと思う。こういった書籍の役割は、過去から現在の事象を系統立てて整理整頓し俯瞰し、普遍化することだと思うので、最低限その役割は果たしているのではないかと思う。

 インターネットが社会に及ぼす影響と、今後社会がどう変質していくのかについてはすぐには答えは出ないし、正直言って誰にもわからないだろう。動物でも何でも、突然変異が進化に大きな役割を果たすのは知られている。ぼくは、何か突然変異が現れるのではないかと思っている。そんなことを考えさせるだけでも、本書を読む価値はあると思う。

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