映画

2008.10.05

映画評 『容疑者Xの献身』

「天才」の安売りに少々辟易

 凡そエンターテイメントというものが、非日常空間を創出して非現実的な物語を見せつけるプレハブと受け入れてしまえば、「天才物理学者 vs 天才数学者」などという、上から目線の安易で「ありえない」設定に居心地の悪い思いはしないのだろう。こういった類の究極の非現実を、何度殺しても死なないハードボイルドアクションなヒーローよりも受け入れることができない読者&観客は、最初から読んではいけないし、この映画を観てもいけない。

 似たようなロジックで映画を愛する者の目線に立てば、メディアミックスなどと称してテレビドラマから派生した映画など、評価に値しないと思っている映画ファンは多いに違いない。最近の日本映画の活況が、こういったプロモーションに端を発していることは理解しても、堕落させているのもまた彼らなのだから。特にフジテレビ発の映画などは。

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2007.10.20

踊るレジェンド

 念願の『交渉人 真下正義』をテレビ放映で観た。予想以上におもしろかった。交渉ともつかない犯人と真下の心理戦には大いに不満があるけど、じゃああれ以上どうやったらいいんだと聞かれてもうまい答えは見つからない。愉快犯的な犯人像から言えば、単なるナゾナゾごっこであっても納得できる要素はある。

 最終的な犯人の扱いも、あれはあれでアリだと思う。次回作に含みを持たせたとか、いろいろな憶測が飛ぶのもまたわかる。エンターテイメント映画としてはそこそこの出来だと思うのだ。少なくとも、最近DVDを借りて観た『アンフェア the movie』の素人演出よりはずっと良かった。
 
 『踊る大捜査線』のスピンオフ作品は複雑怪奇でわかりにくいのだが、とりあえず大物は全部観たかな。正直な感想は、灰島>真下>木島>室井。踊ると最も遠い灰島が一番って、皮肉な感想でしょうか。今晩放映の室井は、初見で頭を抱えた。今夜確認してみるべきか。

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2007.09.09

映画評 『ALWAYS 三丁目の夕日』

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山崎貴 西岸良平

バップ 2006-06-09
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 とてもよく出来ている。なんといっても、ミニチュアとCGで再現された(らしい)昭和33年の東京の街並みに驚かされた。建設中の東京タワー、都電と都電が走る道路、上野駅ホームと発着する蒸気機関車のC62、道路を走るクラシックなクルマ、銀座の街並みなど、DVDを22インチ程度の画面で観たからか、どこまで実写かまったくわからなかった。じゃあ、映画館で観たらわかるのかと聞かれても、自信がない。とてもよく出来ていた。

 事前情報によれば、ともかく素直な気持ちで観る必要があるらしいので、心を平らかにして観た。そして、素直に感動させてもらった。アラは探せばいくらでもある。某新聞社が「徹底的に昭和30年代を美化して、感動させ泣かせる映画である」というような批判を展開したらしいが、そんなのは観れば誰だってわかることだ。

 しかし、その一点だけで、こんなすばらしい映画を批判する気持ちは起きない。感動させようとしているのは事実だし、ちょっとばかりあざといのも事実だ。エンターテイメントである以上、そんなのは当然のことなのだ。感動させてナンボ、お客さんの涙を絞ってナンボなのである。あざとさの程度と表現が問題なのだ。

 余談だが、ぼくはある時期から、浅田次郎の作品が読めなくなってしまった。直木賞を受賞したころまでの浅田は、ぼくが勝手に命名した「寸止め作家」だった。あざとさ&お涙頂戴が、度を越す直前で見事に「寸止め」された物語を書く「寸止め作家」だったのだ。わかっていても泣かされる、そんな物語を書く作家。

 しかし、直木賞受賞を境に彼は寸止めができなくなった。プレッシャーだったのかもしれない。読む作品どれも度を越したあざとさに堕ち込んでいった。浅田次郎の小説では、泣けなくなった。なぜか考えたことがある。結局、登場人物をいかに自然に動かすかなのだ。どうやって自然に登場人物たちに感情移入してもらうかなのだ。

 安易に動く登場人物たちに、読み手は簡単に感情移入できない。涙を誘う登場人物たちの行動は、彼らの持つ背景に裏打ちされた矜持に基づく行動でなければならない。自然なパターンを使い尽くしたのかもしれないし、読み手であるぼく自身の変化かもしれない。ぼくはいまでも浅田次郎の近作を読むことができない。

 こう考えてくると、この映画の作り方を容認できるのも、初体験という理由が大きいかも知れない。映画の設定が斬新で郷愁を誘われ、活き活きとして心豊かであるように見える登場人物たちが織り成す群像劇に心を打たれた。虚を衝かれたような状態だったのだろうか。う~ん、違うな、この映画は本当に愛すべき映画だと思う。

 2007年11月に続編が公開される。得てして、続編は感動の第一作が与えた夢を壊してしまうものだ。第一作を観た観客に寸止めは難しい。ファンタジーとして昇華させるのは、もっと難しい。宝物のような映画だったから、安易な続編で夢を壊されたくない。観るべきか観ざるべきか…。杞憂かな?

 監督の山崎貴の過去2作品(『ALWAYS 三丁目の夕日』は監督3作目)と、映画で大活躍したダイハツミゼットの鈴木オートバージョン(映画の舞台)を。『ジュブナイル』は子どもたちと小型ロボット”テトラ”の物語。ロボットのCGがすごかった。『リターナー』は未見。SF・アクション大作らしい。評価は真っ二つ。評論家によっては「山崎貴はハリウッドでもやっていける」と言われたとか。

ジュブナイルReturner リターナー
トミカリミテッド ALWAYS 続・三丁目の夕日 ダイハツミゼット

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2007.08.06

書評 『極大射程』 S・ハンター

極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)
Stephen Hunter 佐藤 和彦

新潮社 1998-12
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 2007年6月1日に公開された映画『ザ・シューター 極大射程』の原作本。
 これぞエンターテメント。文句無く楽しめる。上下2巻とちょっと長いけど、冗長なところがまったくない。ハラハラドキドキの物語の中にいろいろな仕掛けが配置されている。それは時限爆弾みたいなもんだから、より劇的にってのも頷けるんだけど、ラストあそこまで引っ張らなくてもね。そんな仕掛けといえば、ダイイングメッセージまであるのだ。これで本格物の読者まで射程に入れたか。

 何といっても、練りに練られたストーリィが抜群におもしろい。伝説のスナイパー ボブ・リー・スワガーが罠に嵌められ、大統領暗殺犯の汚名を着せられる。そして、もう一人の主人公と交錯する。FBIのニックだ。ニックもまた運命に翻弄される。間一髪逮捕を免れたボブは自らの汚名を削ぐため、愛する人を守るため、陥れた組織を相手にたったひとりで戦争を仕掛けていく。

 この大胆な戦争を仕掛けていく主人公ボブの信条は、
 「自分や自分の大切なものを傷つけようとしている相手以外は、誰も傷つけてはならない」
 「自分の義務だと思えることをする」
 まるでハードボイルドのヒーローのセリフだが、ボブのストイックさはまさにハードボイルドそのものといえよう。銃という武器を持つ者の誇りを端的に表している。この信条を胸に、ボブは人間離れした殺傷力で数多くの窮地を切りぬける。

 作者は「ワシントン・ポスト」の映画批評欄のチーフらしい。だからなのかどうかは解らないけれど、時間経過や場面転換がやけに映画的。騙し騙されの殺戮ゲームはドラマチックに進行し、長いエンディングの末迎えたラスト。大きな時限爆弾が爆発するのだ。賢明なる読者はとっくに気がついているんだけど。これで良いのだな。

 それにしても、、それにしても、アメリカにはこんな銃オタクがウヨウヨしてるんだろうか? 作者からしてが大変な銃知識。この本に書かれた銃に対する薀蓄は楽しめる人とそうでない人がいることだろう。武器を持つ人間にはボブ・リー・スワガーのようなダンディズムが必要なのかもしれない。物語そのものに銃天国アメリカの言い訳めいた一面を見たような気がしたのだけれど…

 93年の出版時に目の早いパラマウントが映画化権を獲得した。しかし、なかなか映画化されず、99年にキアヌ・リーヴス主演でアナウンスされたが、果たせなかった。で、ようやく今回マーク・ウォルバーグ主演で映画化された次第。ところが、あんまり評判が良ろしくない。原作の方がずっとおもしろいとの声が多く聞こえてくる。映画はどうなんでしょうね。
(文章をちょっといじって、サイトから転載)

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2007.07.27

映画評 『菊次郎の夏』

B00005EDS4菊次郎の夏
ビートたけし 関口雄介 岸本加世子
バンダイビジュアル 2000-01-25

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 敬愛してやまない、とリアルでもネットでも公言しておきながら、いままで未見だった映画監督北野武の作品。ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞した『HANA-BI』の翌年、1999年に公開された監督第7作である。

 いろいろと背景があって、予備知識満載で観た。北野監督独特の色使いや、凄惨な暴力描写はなりを潜め、父と子(映画では擬似父子)の愛情を淡々と描いている。だが、やっぱりストーリィ性は乏しい。この人の作品は、どれも書き下ろしで、監督本人が脚本を書いている。だから、というわけではないだろうが、ストーリィで客を引っ張る監督ではない。

 では、何で観客を惹き付けるかというと、映像美であるとか、説明を一切省いた唐突な演出であるとか、過激な暴力であるとか、一瞬一瞬のシーンのおもしろさであるとか。相当な演出力はあるが、観客におもねることはしない。撮りたいモノを好きなように撮るという監督本来の仕事を自由にできている、とても恵まれた監督という印象がある。

 この作品は、菊次郎と正男少年を、自らの親子関係に準え、自分の気持ちに区切りをつけた映画なのだそうだ。多分に、私小説的。映画としての出来はそんなに高いようには思えない。だが、最初は正男少年のことを疎ましく思っていた菊次郎が、徐々に自分の少年時代と重ね合わせ、正男が愛しくなってくるのが、とてもよくわかる。心温まる。

 少年北野武は、父親の愛情に飢えていたのだね。こんなふうに父親に遊んでもらいたかったのだね。菊次郎と正男少年は、両方とも監督自身の投影である。双方の思いが胸に迫ってきた。こう考えてくると、監督自身の希望を映像で実現したという、とても人に見せるための映画じゃない。これじゃ、興行的な成功など望むべくもない。

 正直申し上げて、こんな映画を、監督の希望だけで撮らせてしまうプロデューサーがすごい。しかし、それも映画監督北野武だからできる芸当なのだろう。ぼくらとしては、『ソナチネ』や『HANA-BI』のような北野映画を観たいのだが、映画制作の現場で常にあんな緊張を保つことはできないんだろう。そんな映画だった。

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2007.07.12

映画評 『たそがれ清兵衛』

たそがれ清兵衛たそがれ清兵衛
山田洋次 藤沢周平 朝間義隆

松竹ホームビデオ 2007-06-29
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 今更ながら、とても良い映画だった。
 しかし、長じた娘のナレーションと最後の岸恵子の墓参りのシーン、これは必要ないんじゃないか。封切り当時から、特に墓参りのシーンについては論議を呼んだそうだが、このシーンは余計だと思う。なんで、入れたのか? 無ければ、もっと締まった映画になった。

 それと、その岸恵子のシーンに被さって流れる井上陽水の主題歌。これのお陰で、せっかくの名画の余韻が、いっぺんに吹き飛んでしまった。陽水は中学生のころから大好きで、とても影響を受けたぼくにとって神のような存在であるけれど、あの最後のシーンにあの歌はダメだ。

 そりゃもちろん、井上陽水の責任じゃない。これも「なぜ」なんだけど、なぜ井上陽水に主題曲などお願いしてしまったのか。チキンなプロデューサーの大ミステイクだろう。話題作りとか? 大失敗だった。井上陽水自体に存在感があり過ぎるのだ。映画の雰囲気にまったく合っていないだけでなく、壊してしまった。

 しつこいけど、岸恵子のナレーション、最後に墓参りをする岸恵子のシーン、最後の井上陽水の主題歌。この三つを映画に挿入したことが本当に悔やまれる。鑑賞後、どれも頭に残りすぎて、本編の印象に勝ってしまった。最後のシーンが作品のテーマを、かえってぼやけさせてしまった。ぼくだけ?

 それ以外の内容については、語りつくされているよね。周到な時代考証とか、真田広之と宮沢りえの演技とか、臭みの取れた山田洋次の淡々とした演出ぶりとか、現実的な殺陣とか、下級武士のつましい暮らしぶりの描写とか。どれをとっても、日本映画の常識を覆すに足る水準に達していると思う。リアリティとは、些細な事柄の積み上げだと改めて認識させられた。

 中でも印象深いのが、真田広之の月代だった。最後に宮沢りえの朋江を呼んで、上意討ちのための身繕いをしてもらう。だが、月代だけは伸びたままなのだ。ぼくはてっきり、ご新造あたりが家で剃ってあげていたのだと思っていたので、きれいに剃り上げて完成させると思っていた。しかし、月代は薄黒いままだった。

 藤沢周平と山田洋次…。実に良いカップリングだったのだね。市井の人々の人情を描いては右に出る者のいない時代小説の大家藤沢周平と、根幹に共産主義的な色合いが濃く、常に視線を低く保つ映画を作り続けてきた山田洋次。この映画を観ると、山田洋次が藤沢周平の作品を映画化したかったという気持ちはとてもよくわかる。

 時に教条的で押し付けがましかった山田洋次が、齢70にして映画の本質に近づいた、エンターテイメントがピュアな形で結実した、なんて言い方をしたら怒られるかな。思想と映画、思想とエンターテイメント、といった映画作家が持つであろう根源的なテーゼに、巨匠が答えを出した作品だと思う。寅さんをあれだけ撮り続けた方に「エンターテイメント」などと失礼な物言いかもしれないが…。

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2007.07.01

映画評 『武士の一分』

武士の一分武士の一分
山田洋次 藤沢周平 平松恵美子

松竹 2007-06-01
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 監督の山田洋次については、どうしても捨てられない先入観があった。若いころの作品で、辟易した記憶がどうしても薄れない。だから、本当に久しぶりに観た山田洋次監督作品だ。Wikipediaで確認したところ、1980年の『遥かなる山の呼び声』以来のようだ。

 この人の映画は、出演者に負うところが大きくて、監督の技量で見せる映画を作るという意識にとても欠けているように思っていた。ストーリィに起伏が乏しくて、あまりにオーソドックスで、時に教条的になる。若干思想的な隔たりもあって、ぼくとは絶対に肌が合わない監督、という認識で、名作との誉れ高い『たそがれ清兵衛』も観ていない。

 その上、主演の木村拓哉には、もっと頑迷な先入観があった。彼の役柄はどれもほとんど同じような印象しかない。だから、評判の良かった『華麗なる一族』も一度も観ていない。軽めだけど優秀なアウトロー的な役柄ばっかりで、独特の台詞回しも、悪い癖としか思えなかった。

 しかし、結論から言うと、木村拓哉はこの映画で完全に脱皮したようですね。評判の良かった『華麗なる一族』もこの映画で鍛えられた演技力があればこそだったのだろう。本当に堂々たる演技者ぶりだった。剣道の経験があるそうで、殺陣も見事だった。

 演技者を見るとき、かならず注目するのが、眼の力とそこを中心とした表情だ。今回の木村の場合、前半の単なるハンサムボーイから、失明して消沈しているときのギャップと、鬼気迫る表情がすばらしかった。そして、一皮向けたラストまでの落ち着いた大人の表情と演技。すばらしかったと思う。

 山田洋次は、いつもながら地味でオーソドックスな演出ぶりだ。この人の視線の低さがとてもよく機能している。しかも、かなり細かい時代考証やディテールに拘りが感じられて、圧倒的なリアリティだった。それらが押し付けがましくなく、自然に演出されていた。この作品は、アレルギーなく観ることができた。

 木村拓哉の裃のヨレヨリぶりがリアルだったり、食事の最後に茶碗に湯を注いで飲み干してそのまま仕舞ったり、江戸時代のアイロンに関心したり、叔母の桃井かおりが三村の家にあがる時に草履を脱いだ足の裏の埃を女中に掃わせたり、家族会議の席での妻役檀れいの着物の衿が汗で変色していて妙に色っぽかったり、細かい点を上げればキリがないが、新鮮だった。常に目線の低い監督なればこその拘りなのでしょう。

 山田洋次の作品らしく、大きなストーリィのうねりもなく、淡々とした物語だった。でも、往年の臭みがなくなって、かなり楽しむことができた、かな。笑いのツボもしっかり押さえていましたね。職人芸だった。
 ぽすれんで、『たそがれ清兵衛』注文しちゃいました。

 追記:この手の方にこんなことを言われている。山田洋次も変わったものです(^-^;
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2006.05.19

ネタバレだろ?映画ダヴィンチの宣伝

 映画『ダヴィンチ・コード』が明日から公開だとかで、各メディアで宣伝攻勢が喧しい。


 以下ネタバレ!!!(だと思う)注意!

 未読、およびこれから映画を観る予定の方は、絶対に以下を読まないでください。


























 その宣伝の中で、堂々とネタバレをやらかしている。

 キリストは結婚して子供がいた。今もキリストの子孫は生き残っていて、それをカトリック教会はひたかくしにしている、これが『ダヴィンチ・コード』最大の謎だ、というような内容だった。
 上記に絡んで、パブなのか何なのかわからないが、カトリック教会は全世界10億人の信者に対して、配給元のソニーの製品に対して不買運動を起こしているとか、そんなニュースも流れた。当然、ネタバレとセットで。

 ぼくは原作を読んでいない。文庫化なったし、映画化もされたので、いずれ読もうという気持ちはあった。
 読んでいないから、上記のネタバレがどの程度のものかわからないが、一気に気持ちが萎えてしまったのもまた事実。

 一般ニュースがわけもわからずソニーの不買運動を流して、その中で不用意にばらしてしまったのならわかるが、そうじゃなかった。 
 ぼくが敏感過ぎるのでしょうか?
 許しがたいと思うのだが、原作を読んだ方々、どうですか? もっと重要な謎がありますか?

 それとも、業界のドロドロした何かがあったのかな。

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2005.01.04

映画をビデオで観るということ

 暮れの日曜におかしな頭痛で寝込んで以来、ずっと嫌な感じが続いていて困っている。
 ほぼ毎日の頭痛に加えて、目眩と悪心が断続的にある状態。
 頭痛はいつものことだからそれ程心配はしていないけれど、目眩と悪心は看過できない気もしている。病院かな。

 9日間の正月休みも明日で終わり。
 今年は例年通り、映画を観まくった休みだった。劇場で1本観ただけで残りが全部ビデオ(DVD)ってのも情けないが。
 ビデオばっかり観ていたので、本をまったく読んでいないのもまた情けない。
 そうか、ビデオで映画を観た場合は「映画を観た」じゃなくて「ビデオを観た」が正しい言い方だな。

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2005.01.03

最近のディズニー映画のキャラ

 午後から映画の『半落ち』を観ていたんだけど飽きてしまって、気晴らしに近所の大型ショッピングセンターに行ってきた。
 『半落ち』はこれから残りの半分を観るんだけど、あれは映画向きの題材じゃなかった。地味な原作で映画的な脚色も施せそうにないし、その上素人みたいな演出でどうしようもない。原作はとても良い小説なのだが。

 映画の話じゃなくて、ディズニーの話をしたかった。
 そのショッピングセンターに、ディズニーのキャラクターの福袋をはじめとしたディズニー映画のキャラの商品が、いろんな売り場にところ狭しと並んでいた。いかにも問屋が売れ残りを放出したような、公開してかなり経ったキャラが多かったな。
 で、改めてディズニーのキャラをとくと眺めてみた。

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2005.01.02

映画評 『LAST SAMURAI』

ラスト サムライラスト サムライ
エドワード・ズウィック マーシャル・ハースコビッツ ジョン・ローガン

ワーナー・ホーム・ビデオ 2005-04-22
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 今頃になって映画『LAST SAMURAI』を観た。DVDだけど。

 不勉強で日本の時代考証がなってない(あんな落人部落に住む渡辺謙の演じる勝元は何者? 参議には維新で功労のあった者か公家しかなっていないと思うが。殿と呼ばれていたが、大名なのか? 大名は廃藩置県で無くなっているはずだが。たかの子供は左手に茶碗を持たず、肘をついて食事をしていたぞ! あの部落に農民はいたの? いるなら武士と一緒に生活するなんておかしくないか? …もっとあったかな。モデルは西郷隆盛?)とか、ロケ地の選択とか、ヤシの木が見えたとか、トム・クルーズの存在感の無さとか、いろいろ言いたいことはある。

 しかし、新しいモノが古いモノに取って代わる時代の物語としては、時代と民族を超えた普遍性を得ているように思えたのでうまくいっていると思う。

 良い意味でも悪い意味でもいかにもハリウッド的でアメリカ的で、皮肉に溢れた映画だった。
 自国の歴史、特に悪い面の歴史を振り返ることにかけては他の追随を許さない国アメリカ。懐の深い国なのかもしれない。この多様性が良い面なのだろう。
 自ら世界の警察官などと名乗って、偽善的で自国の利益を最優先する戦争を仕掛けておきながら、返す刀でこんな映画を撮ったりする。

 合戦シーンも良かった。
 監督の意図した、映画で伝えたいと思われることが良く伝わってきた。
 感動的なシーンも多く。何度も涙を絞られた。
 数百年程度の歴史しか持たない国の民が、長い歴史と伝統によって培われた精神に憧れを抱くのはとてもよくわかる。これも皮肉だが。

 しかし、このタイトルの『LAST SAMURAI』とは、渡辺謙演じる勝元ではなくて、トム・クルーズ演じるオールグレンのことを指すような気がしている。
 曲解かもしれないが、そう考えるといろいろと納得できる。
 そう考えると、いかにも厚顔無恥なアメリカ人の作った映画として納得できてしまうから不思議だ。

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2005.01.01

映画評 『ハウルの動く城』

 明けましておめでとうございます。
 カテゴライズされていない拙いブログですが、今年もよろしくお願いいたします。

 昨日とは打って変わって好天の元旦、予定通りマイカル大宮で映画を観てきた。ぼくと長男で『ハウルの動く城』、カミさんと次男で『ハム太郎&犬夜叉』。
 予想通り、次男はハム太郎が終わったら即「出よう出よう」の連呼だったそうだ。

 サティで晩御飯を買って帰宅。正月だから財布のヒモが緩んだわけじゃないけど、お惣菜を買い漁ったら、それだけで2,500円にもなってしまった。
 これほどバカバカしい出費もない。外食の路面店はほとんど営業していたから外で食べてくればよかった。洗物もしなくて良いし。今日はやってやろうかな。

ハウルの動く城ハウルの動く城
宮崎駿 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ

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 さて、『ハウルの動く城』なんだけど、千と千尋より更に難解で未だ消化し切れていない。
 一緒に観た中一の長男に、理解のキーポイントと思われる点を聞いてみたが、どれもまともに答えられなかった。
 お返しに長男から矢の質問が飛んできたが、こっちも消化できていないので満足に答えられない。帰りのクルマで疑問点を出し合い、それぞれ解釈を言い合ってみたが混乱するばかりだった。

 原作がバカ売れしているらしい。映画を観て意味がわからなかった人とか、もっと知りたいという人が買うんだろうか。
 ただ、今のところの印象でしかないけど、失敗作のような気がしている。
 色彩鮮やかで、無国籍な独特の世界は変わりない。相変わらずの宮崎ワールドには違いないが、もうちょっと観客を意識した方がいいと思う。
 もしかしたら、もっと他にあの世界を説明してくれるシーンがあったのに、長さの都合でカットしてしまったのだろうか。

 疑問点を以下に箇条書きにして整理してみた。
 1.だいたいどんな呪いかわかるんだけど、ソフィにかけたのはどんな呪い?
 2.サリマン(指輪のサルマンだよなぁ)が戦争をし続ける理由は何?
 3.これもなんとなく想像できるけど、なぜ王様はハウルを呼んだのか
 4.ハウルの何を指して心を失くした状態と言うか、それが誰にどんな迷惑をかけてハウルにどんな影響を及ぼしているのか(少なくともハウルが心を失くしているようには見えなかった。それどころか無意味な戦争を終わらせようとすらしているように見えたが。鳥の状態が悪影響ならば…)
 5.隣の国の王子が誰になぜ呪いをかけられて戦争とどうつながるのか。
 6.ハウルとカルシファーの関係の意味は何?
 7.あの大草原でハウルとカルシファーが契約を結ばなければならなかった理由は何?
 8.ソフィが老婆になっていきなりなぜ山に向かうの?山に向かうときに言う「妹のところ」ってなんだ?
 まだまだありそうだが、ざっと思いついただけでこれくらいわからないところがある。

 決定的だと思ったのは、ソフィが鬱々と帽子屋を継いでいるのはわかったが、どれくらい自分を押し殺しているかという描写がほとんどなかったので、老婆前と老婆後の対比がまったくできなかったことだ。
 老婆になって徐々に解放されていくのはわかる。だってそれがテーマだから。でも、老婆前にどんな言葉をしゃべる女の子かわからなかったので、違和感があり過ぎた。

 ハッピーエンドは良いけど、ラストは尻切れトンボになってしまった。
 そのラスト、なぜサリマンは簡単に戦争を止めてしまうのか。毎回、戦争をひとつのテーマとして据える宮崎さんだが、今回ばかりは脇に置くか、もうちょっと軽めに扱ったほうが良かったのではないか。消化し切れていない頭でそんなことを考えている。
 それに、ソフィがハウルに惹かれていく心理状態というか気持ちの流れが、残念ながらおぢにはつかめなかった。
 
 で、ソフィにかけられた呪いは解けたの?

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