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2006年12月の1件の記事

2006年12月 8日 (金)

我が心の浦和レッズ

 そのレッズへの愛に溢れた記事は、数多発行された浦和レッズ優勝特集雑誌の中の一冊の、最後の最後にあった。
 カメラマンの署名はあっても、ライターの署名が無い。署名がないのに、思わせぶりにリードに「~厳しくも愛情たっぷりの記事でレッズを見守ってきた筆者」とあるおかしな記事だ。

 すぐにピンときた。
 決して美文とはいえない体言止めの連発と短いセンテンスに感情が上滑りした文章は、雌伏のときを経て若干マイルドになったように思うが、あの人に間違いない。
 わざわざ改行して「うれしくてたまらない」と書いているあたりまで来て、編集部に確認したくなった。

 「最後にある『我が心の浦和レッズ』には署名がありません。書いたのはどなたですか?」
 「言えないんです。」
 「河野さんでしょ?」
 「言えないんです!」

 実は、優勝特集雑誌の中に河野さんの姿を探していた。
 優勝原稿を書きたいと言い続けてきた方が、一世一代のこのときにいない。運命の皮肉なめぐり合わせというには、本人の身から出た錆と言い切ってしまうには、あまりに悲しい。記事を書いても署名できないなんて、悲しすぎる。本人からの申し出にしても……。

 ぼくも以前このブログで書いたことがあるけど、ここのところ数年の、新聞原稿とは思えない上滑りで過度に感情移入した悪文はひどかった。事件のタイミングもとても悪かった。「レッズ番の記者」と書き立てられて、とても気分が悪かった。どこか増長していたところもあったのだろう。

 ビッグクラブへの道を歩みはじめたレッズには、砂糖に群がるアリのように有象無象が群がってくる。一部を除いて、ほとんどがあの雌伏のときを知らないライターたちだ。当然、河野さんの穴は埋まらない。
 河野さんの記事に頷き、勇気づけられた。確かに、ぼくらの代弁者のような位置ではあったのだ。そんな彼がこのままで終わってもらっては困る。戻ってきて欲しい。

 事件については、新聞報道以外は知らない。
 河野さんの人となりも、文章を通してしか知らない。
 だから、いい加減な的外れなことを書いてしまったかもしれない。
 すみません。

 この記事が河野正さんでない違う人の手によるものだったら、恥の上塗りだな(^^;

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